インタビュー新しい自分に出会う聞いてみた

「医療だけでは癒せない心に、音楽を」現役医師ふたりの音楽ユニットが、当直明けでもステージに立ち続ける理由

2026年8月某日、みずほPayPayドーム福岡の5番ゲート前。頭皮をジリジリと焦がすほどの厳しい日差しが降り注ぐなか、ふたりの男性がマイクの前に立っていた。ひとりはギターを、もうひとりはエレクトリックバイオリンを手にしている。

その日、ドームでは九州最大級の音楽フェス「NUMBER SHOT」が開催されていた。ゲート前を観客がひっきりなしに行き交うなか、ギターを手にした男性がおもむろに喋り始めた。

「みなさん、こんにちは! インスハートです。僕たちは普段、お医者さんをしています。僕は精神科医、バイオリンを持っている彼は形成外科医です。彼は昨日も、長時間の手術をしていたそうです」

目当てのグッズを買おうと足早に移動していた人々が、その一言に思わず歩調を緩める。ほかのアーティストとは一風変わった彼らの演奏を聴こうと、ひとり、またひとりと列に人が加わった。

▲ストリートライブを行うToshiさん(左)とJyunさん(右)。気温35度を超える猛暑にもかかわらず、佐賀や長崎など遠方からも観客が集まった

彼らの名前は、「Insheart(インスハート)」。メンバーは、バイオリンとボーカルを担当する形成外科医のToshiさん(38)と、ギター、作詞作曲、MCを担当する精神科医のJyunさん(45)。九州の病院に勤務する、現役医師ふたり組の音楽ユニットだ。

制作しているのは、「命の大切さや家族の絆をテーマにした楽曲」。2015年、福岡を拠点に活動を始め、全国の学校や病院、イベントで数百回ものコンサートを実施してきた。

ごく普通の医師であり、診療科も異なる彼らが、なぜ音楽ユニットとして活動することになったのか。その背景には、医療従事者として日々抱えていた無力感があった。

3歳で始めたバイオリン

Toshiさんは、緑豊かな山々と波静かな大村湾に囲まれた、長崎県時津町で生まれ育った。3つ上の兄が幼少期からバイオリンを習っていたこともあり、物心ついた時には兄と一緒にレッスンに通っていたという。

「先生がすごく厳しい方で、練習して行かないと怒られるんです。怒られたくなくて、毎日何時間もバイオリンを弾いていました」と、Toshiさんは笑顔で当時を振り返る。

小学校の頃の夢は、バイオリニスト。地元のジュニアオーケストラにも参加し、熱心に練習に取り組んでいた。

▲「子どもの頃から音楽が好きだったので、バイオリンが嫌になったことはなかったですね」とToshiさん。

だが、地元の中高一貫校への進学を機に、バイオリンのレッスンを辞める。同校は進学校で、とにかく勉強に励む必要があったのだ。それでも音楽への情熱は失わず、年に数回、地域のコンサートへの出演は続けていた。

学校ではテニス部に所属し、優秀なクラスメイトに囲まれながら勉強や部活に打ち込む日々を過ごした。「大学に入るまで、カラオケにも行ったことがなかった」という。

医学部への進学を本格的に考え始めたのは、高校生の頃だ。Toshiさんの父方はいわゆるがん家系で、叔父さんも早くに亡くなっていた。

「小さい頃から『もしお父さんが病気になったら、Toshiがお医者さんになって助けてね』と母から言われていたんです。幼少期は医師になることをそこまで意識していませんでしたが、志望校を決める段階で、本格的に医学部を目指すことにしました」

その後Toshiさんは、長崎大学医学部にストレートで合格。医師に向けて一歩を踏み出した。

「モテたい」と手に取ったギター

一方Jyunさんは、佐賀県の最東端に位置する佐賀県鳥栖市で生まれ育った。外で遊ぶよりも、どちらかといえば家でテレビを見るのが好きな、おとなしい子どもだったという。

「家ではお笑い番組を見たり、両親と一緒に歌謡曲の番組を見たりしていました。その影響で、吉田拓郎さんや南こうせつさんなど、一世代前の歌手の曲を知っていましたね」

小学校高学年からは、CHAGE and ASKAのなどの流行りの曲にも興味を持ち始め、自然と幅広い年代の楽曲に触れるようになった。

初めて楽器を手にしたのは、中学生の頃だ。

「ある日、自宅のポストに入っていた通信教育の漫画を読んだんです。その漫画は、『なにもかもがパッとしない主人公が、通信教育を始めたことでたちまち成績が上がり、軽音楽部の活動もうまくいくようになって、それがきっかけで恋も成就する』という内容でした(笑)」

その漫画を見て、「自分もギターを弾けばモテるんじゃないか」と考えたJyunさんは、自宅にあった白いアコースティックギターを手に取った。ひとつ上の兄が親戚の叔父さんからもらったが、結局弾けるようにならず、そのまま放置されていたものだ。

それからは、中学校から帰宅するとシャ乱Qの『My Babe 君が眠るまで』をひたすら練習し、独学でギターのコードをマスターした。

▲「小中学生の頃は歌を歌うのも好きで、『自分は藤井フミヤさんになれる』と思い込んでいたんです」と笑顔で語るJyunさん

高校生になり、本格的に進路を考えるようになって頭に浮かんだのが、医師への道だった。

「中高生の頃は、その日の出来事や会話を思い出しては、『あの一言が別の意味に取られてしまったのでは』などと、毎晩ぐるぐる思い悩んでいたんです」

「寝付くまでに毎日2時間はかかっていました」というJyunさんは、「精神医学や心理学を勉強することで、自分の生きづらさを減らすとともに、同じ悩みを持つ人を助けたい」と考えるようになったという。

だが、高校の成績は下から数えた方が早いほど。医学部にはまったく手が届かず、1年間の浪人生活を経て、広島大学に進学することにした。大学では、心理学を中心に幅広い分野を学べるプログラムを専攻し、卒業後は大学院の医系科学研究科へ進んだ。

転機となったのは、そこで患者さんと接する機会を得たことだった。実際に患者さんを目にするなかで、かつて抱いていた医師への憧れが再び膨らんでいったのだ。

「やはり医師になろう」

そう決意したJyunさんは、予備校に通いながら2年ほど必死に勉強を続け、長崎大学医学部への合格を果たす。偶然にも、それはToshiさんが同大学医学部の合格証書を手にしたのと同じ年だった。

「バイオリンを弾いてよ」と誘われて軽音楽部へ

ふたりはいつ出会ったのか――。それは、1年生の終わり頃。同期の「こまっち」からの誘いで、Toshiさんが軽音楽部に入部したことがきっかけだった。

大学に入学して間もなく、Toshiさんはテニス部に入る。試合にも出るなどして、テニスを楽しんでいたところ、ある日、友人で軽音楽部の部員でもある「こまっち」から相談を受けた。

「そういえば、バイオリン弾けたよね? Yellowcardっていう、バイオリンのパートがあるバンドのコピーをやりたいから、軽音楽部に入ってよ」

テニス部の練習は週3日で、軽音楽部は週1回。スケジュール的に、両方のサークルへの参加は不可能ではない。しかし、医学部の体育会系サークルはとにかく規律が厳しく、掛け持ちをしている人など見たことがなかった。

恐る恐る先輩にその話をしたところ、「そんな人はひとりもいない。試合に出ている人がそんなことをしたら、他の部員に申し訳ないだろう」と叱られたという。

だが、Toshiさんは先輩に怒られても、軽音楽部への入部を決める。なぜ、そこまでして入部したのだろう?

「正直なところ、それまで軽音楽部と自分を結びつけて考えたことはありませんでした。学祭でも『かっこいいな』とステージを眺めている側で、入りたいと思ったことはなかったですね。でも、せっかく誘ってもらったんだし、やってみたら面白いかもなって」

その軽音楽部にいたのが、Jyunさん。こまっちさんはJyunさんとも仲が良く、当時すでにほかの部員を交えて一緒にバンドを組んでいた。

ただ、1年生の終わり頃にToshiさんが加わったことで、「せっかくだから同期で組もう」という話に。こうして、バイオリンのToshiさん、ギターのJyunさん、ドラムのこまっちさんを含む5人で、新しいバンドを始めることになる。

▲医学部時代のバンドメンバーとの一枚(Insheartさん画像提供)

想定外の初ライブ

といっても、軽音楽部でバイオリンが必要になる機会はほとんどない。「バイオリンを弾いて欲しい」と言われて入部したToshiさんだったが、結局弾いたのは初ライブの一度きりだった。しかも、そのライブで「Toshiも一曲歌ってよ」と、なぜかボーカルを任されてしまう。

その時、歌うように言われたのは、9mm Parabellum Bullet(キューミリ・パラベラム・バレット)という、非常に激しいロックバンドの楽曲だった。バンド内で「絶対的な存在」だったこまっちさんがロック好きだったこともあり、成り行きでこのバンドをコピーすることになったのだ。

Toshiさんは「えっ、歌なんて歌ったことないけど……」と思ったものの、バイオリンのほかに弾ける楽器はない。仕方なく「頑張ってやってみよう」とボーカルを引き受けることにした。

「それまで音楽といえば、クラシックか、ゆずさんや平井堅さんのような、とても有名なJPOPしか聞いたことがなかったんです。なので、ロックを初めて聞いた時は衝撃でしたね。カラオケに通って練習を重ね、本番までになんとか歌えるようになりました」

この初ライブ以降、Toshiさんは卒業までずっとボーカルを担当することになる。まさか、それが後の音楽活動に繋がるとは、夢にも思っていなかった。

医師として抱えた無力感

こうして同じメンバーで5年間バンドを組んだものの、卒業を機に解散。「音楽を続けよう」と考えるメンバーはひとりもおらず、Jyunさんに至っては「後輩にギターを1本あげたくらい」だったという。

念願が叶って医師として働き始めた、ToshiさんとJyunさん。だが、ふたりはそこで、厳しい現実に直面することになる。身体は良くなっているはずなのに、元気にならない患者さんを、たびたび目にするようになったのだ。

救急対応にあたることが多かったToshiさんは、当時の様子をこう振り返る。

「救急外来には、本当に命が危ない状態の方が運ばれてくることがよくありました。そうした方が命の危機を脱し、身体が少しずつ回復していっても、どこか元気がない姿を見ることが多かったんです」

ふたりは同じ病院に勤めていた時期もあり、よく一緒にお酒を飲みに行っていた。ある日、いつものように飲みながら「患者さんを心から元気づける方法はないのかな」と話しているうちに、ひとつの答えにたどり着く。

「そうだ、病院でコンサートをやるのはどうだろう? 生の演奏を患者さんに聴いてもらおう」

Jyunさんには、自身が音楽に支えられた経験があったという。

「医学部受験の時に、いろんな曲を聴いて『また頑張ろう』と思ったり、思わず涙を流したりしたことがあったんです。『音楽には、人に寄り添い、もう一度、人を立ち上がらせる力があるのかもしれない』と以前から感じていました」

▲Insheart結成当初のToshiさんとJyunさん(Insheartさん画像提供)

活動を始めるにあたり、2人で考えたユニット名は「Insheart」。「Inside your heart」から取った造語で、「あなたの心に寄り添いたい」という思いが込められている。

最初に作ったのは、「もう消えてしまいたい」と思い詰められた女の子をモチーフにした『瞳の中のあなた』という曲だ。活動を始めた当初から現在まで、「医師である自分たちだからこそ、綴れるものを」という考えを、一貫して曲作りの軸に据えている。

これまで、「障害のある子どもを育てる母親からのメッセージをもとにした曲」や、「全国のダウン症のある人と、その家族から寄せられた声をもとにした曲」など、さまざまな楽曲を制作してきた。

10年も活動が続くとは思っていなかった

Insheartとしての初めての活動は、勤務先の病院での小さなコンサート。入院している患者さんや、その家族などが集まった。観客からの反応は想像以上で、涙を流しながら演奏を聴く人や、聴いた後に笑顔になってくれた人、「とても良かった」と終演後に直接感想を伝えにきてくれた人もいたという。

こうして「音楽が人の心に与える力」を改めて実感したふたりは、仕事の合間を縫って本格的に音楽活動を開始する。

すると「現役医師が音楽活動をしている」という珍しさもあり、次第にメディアから注目を集めるようになった。その反響は大きく、活動の場は学会や学校、全国各地のイベントにまで広がっていく。

▲結成当時は、島村楽器の「アコパラ」などのオーディションにも参加。グランプリを獲得した経験もあるという(Insheartさん画像提供)

ここでふと、疑問が湧いた。本名や勤務先を公表していないとはいえ、現役の医師が音楽活動をすることに、不安やためらいはなかったのだろうか?

その疑問をぶつけてみると、「当初はここまで注目されるとは、まったく思っていなかったんです」とToshiさん。

「最初はただ、『入院している患者さんが喜んでくれたらいいな』『自分たちの演奏を聴いて、少しでも元気になってくれる人がいたらいいな』という思いだけでした。こうして10年も活動が続くとは、正直考えていませんでしたね」

▲2016年に、福岡の久留米児童センターで開かれたコンサートの様子。子育て中の母親とその子どもを対象として開催された(Insheartさん画像提供)

一方で、Jyunさんは「活動を始めた当初は、周囲から必ずしも好意的に受け止められていたわけではなかったように思う」と話す。

「『音楽活動をするなんて、中途半端に医者をやっているんじゃないか』と言われたこともありました。でも、医師としての仕事も、音楽で人を元気づけることも、どちらも諦めたくなくなかったんです」

その言葉通り、ふたりは音楽活動を続けながら、医師としてのキャリアを確実に積み重ねていった。

「Toshiなんて、本当に優秀で。この間もベトナムの病院から呼ばれて、手術に行ってきたんですよ」と話すJyunさんは、どこか誇らしげだ。

楽曲制作やワンマンライブも

活動の広がりとともに、ふたりのもとには楽曲制作の依頼も舞い込むようになった。初めて依頼を受け、2016年に制作したのが『おばあちゃんの のこしもの』。母校の附属病院である長崎大学病院から「原爆をテーマにした曲を作ってほしい」と声をかけられたのだ。

「実をいうと、この話はToshiがひとりで大学病院に行った時にお話をいただき、制作することになったんです。テーマがテーマだけに、後から話を聞いて、その場に崩れ落ちそうになりました」

さらにプレッシャーだったのは、曲を披露する日まで決まっていたこと。依頼を受けてから4カ月後に同院で発表する予定になっており、当日は被爆体験者も会場を訪れる予定だった。「納得はできていないけれど、とりあえず作りました」では、到底済まされない。

難しいテーマの曲とどう向き合うべきか。悩んだJyunさんは、Toshiさんと一緒に3人の被爆体験者のもとへ話を聞きに行き、4ヶ月かけて曲を書き上げた。「被爆体験者の孫の視点」を描いた、7分に及ぶ大作だ。子どもも読めるよう、タイトルはひらがなにした。

Jyunさんが「身を削る思いで作った」と話す『おばあちゃんの のこしもの』は、やがてInsheartの代表作となった。2019年には、ニューヨークで開かれた「ヒバクシャ国際署名連絡会」主催のイベントに招かれ、この曲を英語で披露している。

▲『おばあちゃんの のこしもの』は、広島でのコンサートやイベントでも、何度も披露している(Insheartさん画像提供)

さらに、2017年からはワンマンライブツアーも始めた。最初のツアーで巡ったのは、東京、福岡、長崎の3都市だ。

ライブツアーを始めたきっかけは、インターネットを通じて寄せられたリスナーの声だった。Youtubeに楽曲を投稿したり、Instagramで生配信をしたりするうちに、さまざまな地域の人からコメントが寄せられるようになった。「コメントを読むうちに、遠くに住んでいる人にも、自分たちの音楽を直接届けたいと考えるようになった」とJyunさんは語る。

「僕たちの音楽を聴いてくださる方のなかには、重い病気を抱えている方や、視覚障害があり遠くまで行くのが難しい方もいらっしゃいます。そうした方から『〇〇に来てくれたらうれしいです』という声をいただくと、やっぱり、僕たちがいろんな土地に行くことが大事なのではと思うんです」

昨日は医師、今日は音楽活動

本業と両立しながら、ライブや楽曲制作を精力的に続けるふたり。その活動は順調に見えるが、実情を聞くと、その印象は少し変わる。

ふたりの本業は医師。音楽活動に充てられる時間は、基本的に互いの仕事が休みの日に限られている。「土日は休みなので、どちらかを活動に充てている」というが、当直明けにそのままライブに向かったり、10時間を超える手術を終えた後にリハーサルへ駆けつけたりすることも少なくない。

金銭面でも、活動にかかる費用の多くを自分たちで負担している。病院からの依頼による演奏は、現在もボランティアで続けているほか、ライブに伴う移動費や宿泊費も自分たちでまかなっている。

ワンマンライブツアーの開催時は、クラウドファンディングを実施しているが、その目的は会場費などの、ライブの開催に必要な最低限の費用を確保することだ。活動そのものの資金を募っているわけではなく、「持ち出しのほうが多い状態」が続いているという。

▲病院や学校だけでなく、介護施設からのコンサートの依頼も複数寄せられている(Insheartさん画像提供)

時間的にも金銭的にも、負担は決して小さくない。それでも活動を続ける原動力は、どこにあるのだろう。

そう尋ねると、しばらくの沈黙の後、Jyunさんは「僕のなかでは、精神科医として目指していることと、音楽活動でやりたいことが、重なっているんです」と静かに語った。

精神科の診療では、患者さんに伝えたい言葉があっても、すぐにそれを受け取ってもらえるとは限らない。タイミングを誤れば、拒絶されてしまうこともあるという。しかし「音楽には、心の壁を超え、その人の心の深いところまで入っていき、思いや感情を解放する力があるはず」と力を込める。

「精神科医になったのも、音楽活動を続けているのも、『誰かの支えになりたい』という思いがあるからです。僕が作詞作曲した歌をToshiが歌うことで、誰かの心の支えになったり、生きる力に繋がったりする。それが自分の一番やりたいことであり、活動を続ける原動力になっているんだと思います」

Jyunさんの言葉を受け、Toshiさんは「音楽活動を通して、僕たち自身も皆さんからもらっているものがある」と続けた。

「医師の仕事で疲れていても、音楽を聴いてくださった方が喜んでくれると、僕たち自身も癒やされるし、パワーをもらえるんです。『形成外科医として患者さんの役に立てること』も僕の生きがいですが、曲を聴いた人が元気になったり、『この曲に救われた』と言ってくれたりすることも、僕にとって大切な生きがいになっています」

「自分たちの音楽」を必要としてくれる人のところへ

Insheartの代表作のひとつである『あなたが生まれて』では、障害のある子どもを育てる母親と、その子どもの心情を描いた。「あなたが生まれてよかったと、思えるまでには時間がかかった」という言葉で、母親の葛藤を率直に表現している。

そのほかにも、乳がんを患う母親とその家族に話を聞き、その思いをもとに制作した『明日も咲くひまわり』、全国のダウン症のある人と、その家族から寄せられたメッセージをもとに作った『どっこいしょ』などがある。

楽曲を聴いた人からは、「なんで私の気持ちが歌に? と思うくらいぴったりで涙が出ました」「自分だけじゃないんだと、勇気をもらいました」といった声が寄せられているという。

誰かの思いを受け取って生まれた歌が、今度は同じような境遇にいるまた別の人を支え、その人の生きる力につながっているのだ。

▲2023年2月に福岡で開催されたワンマンライブの様子。2026年には、初の仙台公演を実施した(Insheartさん画像提供)

「医療で身体を、音楽で心を癒したい」という言葉を掲げ、活動を続けるInsheart。ふたりが音楽活動に割ける時間には、限りがある。だが、それでも「医療では届かないところに、音楽だからこそ届けられるものがある」と強く信じている。

「今の活動をできる限り続けたいと考えています。夢は、全国各地でコンサートを開催することです。できればもっといろいろな場所に行って、僕たちを必要としてくれている人のもとへ、コンサートを届けていきたいですね」