ピィーッー。
甲高いホイッスルの音が、音楽室に響いた。
すぐさまドラムがリズムを刻みはじめると同時に、目の前の中学生たちが、いっせいに拳を突き上げた。大きな掛け声が飛ぶ。さっきまで、照れくさそうに挨拶をしてくれた姿は、もうそこにはない。
掛け声を後押しするように、威勢のいい管楽器が鳴り響く。跳ねるようなリズムに乗って、教室いっぱいに音が弾ける。この音は、どこまで届いているのだろう。

山と緑しかない長閑な田舎の学校が突然、にぎやかな舞台になった。
ここは、島根県浜田市立浜田東中学校。取材に訪れた私たちを、吹奏楽部の生徒たちが「倍倍FIGHT!」という元気な一曲でもてなしてくれた。クラリネット、サックス、トロンボーン、テューバ。それぞれの楽器を手に、満面の笑みを浮かべている。何より、演奏している本人たちが楽しそうだ。こちらの身体も思わず揺れていた。
予告なしのハイテンション。圧巻のパフォーマンスで取材は始まった。
2025年、全校生徒150人ほどの小さな学校の吹奏楽部が、快進撃を見せた。
夏の吹奏楽コンクールでは、わずか13人で創部初となる中国大会に駒を進め、しかも金賞に輝いた。さらに、3年生引退後の9人でマーチングの全国大会へ出場。小編成の部で、銀賞を獲得した。
一般的にマーチングは、大人数で隊形を描く。9人という全国大会で2番目に少ない人数で舞台に立つ姿は、新聞やテレビでも取り上げられた。
あれから1年。春には新たに7人の1年生を迎え、ひとつずつ学年の上がった9人は、地区大会に向けた練習に取り組んでいた。
顧問の角国(つのくに)孝広先生は言う。
「演奏の良し悪しとかじゃない。その場にいる人の心が動くかどうかなんです」

最初はみんな、初心者
取材前、私たちを音楽室へ案内しながら、角国先生は「みんな中学校に入ってからの初心者なんです」と教えてくれた。どんな練習をしたら初心者の集団から全国レベルになるのだろうか? そもそもなぜ生徒たちは、吹奏楽部へ入ったのだろう。
今回は全国大会に出場した2年生と3年生9人に、話を聞いた。
クラリネットの東條甘奈さん(3年生)は、入学する前に地域のイベントで先輩たちの演奏を聴いた。曲は嵐の「カイト」。ソロの美しさに、射抜かれた。「もう、吹奏楽部に入るしかないって。先輩たちのソロが、どれもきれいで上手すぎた」と目を輝かせる。

トロンボーンの田中陽菜さん(3年生)は、友達に誘われて見学に行った。「見学に行ってみたら、楽しくて」。初めて、ホルンやクラリネットを触った。吹いてみると、音が出た。「じゃあ、やってみよう」。そのまま、入部を決めた。

フルートの齋藤由依さん(2年生)は、4歳からピアノを習っていた。小学生の頃に見た、小中学校の生徒たちが合同で演奏する「連合音楽祭」のビデオで、浜田東中のフルートの音に耳を留めた。「すごくしっかりした音というか、きれいな音に聞こえて」。その先輩のように吹きたくて、吹奏楽部に入った。

ほかにも、好きなアニメの曲を演奏していた、兄が吹奏楽部だったなど、きっかけはさまざまだ。面白いのは、担当している楽器が「第一希望ではなかった」という生徒が何人もいること。それでも皆、口を揃える。「この楽器が好き。この楽器でよかった」。
「究極、いっしょにやることが楽しい」
窓辺の指揮台に立つ角国先生を、9人の生徒たちがぐるりと囲む。先生の手が上がり、楽器を構えると、ピリッとした空気が漂う。1年生は隣の部屋で、地域の指導者の方にレッスンをしてもらっていた。
演奏が終わると、言葉が行き交い、笑いも起こる。そこには、穏やかな空気が流れていた。もともと初心者だった9人を惹きつける、吹奏楽の楽しさとは、何なのか。
部長でユーフォニアムの上野心(しん)さん(3年生)は、「吹くタイミングが揃ったり、音程が揃ったりした時、もやーってなってたのが、スッキリする」。その瞬間がたまらないのだそう。

テューバの国田空大さん(2年生)は、低音の魅力を語る。「自分は低音なんで、みんなを支える時が楽しい」。一番大きな楽器を抱える彼は、バンドの土台として演奏を支えている。

サックスの佐々田美怜さん(3年生)は、音で感情を表現できることに喜びを見出す。「自分の感情を音で表現できたら気持ちいい。あと一番は、仲間と満足のいく演奏ができた時。すごい感動で、泣いたりして」。

バリトンサックスの吉田夢叶さん(2年生)は、音楽を聴いている人を思う。自分たちの音楽が伝わる、その瞬間に胸が弾む。「私たちはお客さんに、自分たちの楽しさを伝えたいので。それが伝わったらうれしいなって」。

ティンパニなどの打楽器を担当する石原結衣さん(3年生)は、ひとりで担当する打楽器に、やりがいを感じている。「全部がソロみたいな感じだし、管楽器を支える仕事でもある。プレッシャーもあるけど、できるようになったら、楽しい」。

ドラムメジャーや打楽器を担当する平松留歌さん(3年生)は、できなかったことができた時だ。「リズムを刻むのが、すごく楽しくて。マリンバなどの鍵盤打楽器は今も苦戦してるけど、できるようになった瞬間が、一番楽しいです」。

トロンボーンの田中さんは、楽しい瞬間をこう話す。「みんなと演奏してて、先生やみんなが面白いことを言ったりして、笑ってる時」。まず出てきたのは、仲間と笑い合う時間だった。
フルートの齋藤さんは、歓迎演奏で見せてくれた『倍倍FIGHT!』を挙げた。踊りや歌を取り入れたアップテンポな曲が好きだという。「あれをみんなで一緒にやるのが楽しい」。そういってニコッと笑った。
クラリネットの東條さんの答えは、シンプルだった。「ひたすら曲の練習をしている時が楽しい」と満面の笑みで語った。
ひとりで吹けるようになる喜びも、みんなと音を重ねる喜びも、そこにあった。
角国先生は言う。「究極は、いっしょにやっていることが楽しい。そういうチームを作らないと。上手いけど仲が悪い、それじゃ意味がない」。
9人に「部活の好きなところは?」と聞くと、判で押したように、同じ答えが返ってきた。仲が良いこと。先輩も後輩も関係なく話せること。誰が何を言っても、笑ってくれること。
その先輩たちの背中を見て、今年、7人の1年生が入ってきた。
みんなで島根を超えて、つかんだ金賞
テューバの国田さんには、忘れられない瞬間がある。2025年8月、「第66回全日本吹奏楽コンクール中国大会」の結果発表の瞬間だ。吹奏楽コンクールは、金・銀・銅で評価される。出場校はそのどれかを受け取り、金賞は1校とは限らない。
部長ら2人が壇上に立ち、残りの11人は客席に横一列で並んでいた。発表を待つ間、上野さんが一人ひとりにお守りを配って回った。「手をつないで、祈ろう」。隣どうし、お守りを握った手をつないだ。
学校名が、読み上げられる。
「浜田東中学校、ゴールド、金賞」
その瞬間、「うわー!って、思わず声が出るくらい、うれしくて。みんな、涙出てて。やってきて、よかったなって」。国田さんは、しみじみと振り返る。
当時のことを尋ねると、「金賞を取れるとは、思っていなかった」と皆が口をそろえる。県外から集まった他校の演奏を聴きながら、強豪はやっぱり強いと感じていた。だからこそ、金賞と呼ばれた瞬間、信じられなかった。
少人数での演奏は、楽器の数が少ないぶん、音量では不利だという。でも、と国田さんは胸を張る。「一人ひとりが、観客に届くくらい大きな響きを出そうとする。大編成や30人規模にも、負けないくらい」。
「東中、最高!」
浜田東中の快進撃は、ここで終わらない。
3年生が引退し、9人で挑んだのは、マーチングだった。歩きながら演奏し、隊形を変え、ダンスを織り交ぜる。演奏の出来栄えに加えて、隊形の動きや全体の表現も、評価の対象になる。
マーチングに取り組み始めてから本番までは、わずか半月ほど。練習の時間は、十分とはいえなかった。それでも、2025年10月のマーチングバンド中国大会で金賞を獲得した。そして2026年2月、全国へと駒を進めたのだ。

演奏曲は、ディズニー映画『アナと雪の女王』。青いマントを羽織った9人が、フロアに立つ。
初めての大舞台。一人ひとりが、それぞれの重圧と戦っていた。

打楽器の石原さんは、9人の中でただひとり、リズムを支える役だった。「もうひとりの打楽器の子がドラムメジャーを担当していたから、リズムをとるのは、ドラムの私だけしかいなくて。プレッシャーもあったし、難しかった」。それでも、自分に言い聞かせた。「私ならできる、大丈夫、大丈夫って思い込んで、みんなと一緒に、なんとか乗り越えました」。
バンドの先頭に立ち、指揮をとるドラムメジャーを務めたのは、いつも石原さんとともに打楽器を担当している平松さんだ。本番前夜は緊張で眠れなかった。それでも本番直前には切り替えた。「やっぱり、楽しもうって」。
支えてくれたのは、まわりの人たちだった。ドラムメジャーを教えてくれる外部の先生は、「るかちゃんならできるよ」と背中を押した。ついてきてくれた母も、見守ってくれていた。「みんなに頼りました」と、ニッコリ笑う。
そうして迎えた、本番。マーチングには、吹奏楽コンクールとは違う楽しさがあるという。バリトンサックスの吉田さんが教えてくれた。「マーチングはお客さんから『がんばれ!』って声をかけてもらえるんです」。演奏が終わると、「東中、最高!」と客席から大きな声が飛んできた。
「あの時は、うれしかったです。もう、たまらない瞬間ですね」。くしゃっと表情をほころばせ、言葉を噛みしめる。
自分たちの音楽が、誰かに届く。その手応えは、演奏する喜びになっていた。

教えるのではなく、問う
練習を見ていて、感じたことがある。角国先生は、ハッキリ、ズバリとものを言う。相手が子どもだからといって遠慮しない。
「今、どこに向かって吹いてたの?」「こういう時、どうしたらいいの?」「誰がやるの?」
ああしろ、こうしろ、とは言わない。言葉は短く、シンプルだ。教えるというより、問うている。たどたどしくてもいい。生徒の口から言葉が出てくるのをじっと待つ。

もうひとつ、特徴的なことがある。角国先生の練習は、いきなり曲の演奏から始まる。ランニングやパス練習のような基礎トレーニングを一切しない先生の考えには、理由があった。昔のように、部活動の練習に時間を割けない。今は市のガイドラインで平日2時間、休日3時間までと部活動に上限が設けられているのだ。
限られた時間のなかで、できるだけ音を出し、リズムを刻み、みんなで合わせる。角国先生の指導法は、その制約の中から生まれていた。
子どもたちに、角国先生はどんな人かと尋ねてみた。
「音楽一筋」「音楽のためなら、何でもする」「冗談もけっこう言う、面白い」といった言葉が返ってきた。サックスの佐々田さんは、「練習は厳しいけど、自分たちの音楽を届けるために協力してくれる」と真っ直ぐに語った。
ユーフォニアムに出会った、野球少年
島根県で生まれ育った角国先生は、野球少年だった。1972(昭和47)年生まれの団塊ジュニア世代。中学に上がると、野球部には100人ほどの部員がいた。「野球では難しいかなと思って」。応援演奏でなじみのあった吹奏楽部に入り、ユーフォニアムに出合った。島根大学の教育学部で音楽を専攻し、心のままに音楽教師の道を選ぶ。
「音楽の教員って、楽しそうじゃないですか。一生、子どもたちと音楽をやって、お給料をもらえる」
教員になってからは、赴任先の学校で合唱部や吹奏楽部を率いてきた。50人、100人という大編成も指導した。若い頃は、「目指せ全国!」と熱く引っ張る、昔ながらの指導者だった。

少人数のバンドを受け持つようになったのは、あるとき赴任した学校がきっかけだった。田舎の学校には部員もいない、楽器も足りない。ないものだらけの環境で、どう音楽を作るか。たどり着いたのは、ひとりの生徒が複数の楽器を持ち替えるという方法だった。「野球でいう二刀流の発想に近い。大谷翔平みたいな」。業界ではありえないと言われるやり方も、必要に迫られて身につけた。
「3色の絵の具で多彩な絵を描くのには限界があるんで。やっぱり、何色か必要ですよね」と笑う。
楽器が足りなければ、なんとかして集める。音楽雑誌の取材を受けては業界に顔を広げ、島根県の吹奏楽界とのつながりを築いてきた。その縁もあり、メーカーや近隣の学校が楽器を貸してくれるようになった。
「地方は、努力しないと情報が入らないんです」
2024年、浜田東中学校へ赴任。部員が10人にも満たない状況にも、ひるまなかった。

9人でも、勝てる
着任から翌年の快進撃。わずか1年でどうやって結果を出したのか? 「特別なコツはない」と言う先生の話は、特別だった。
まず曲選びにも、考えがある。「難易度が一番低い曲を選ぶんです」。あの『アナと雪の女王』は楽譜のなかで、最もやさしいものを選んだという。難しい曲をやるより、音を揃えることに専念する。「100人でピタッと揃えるのは難しいけど、9人なら、揃うよね」。
人数の少なさを、嘆かない。「ないものねだりは、しないんです」と静かに首を横に振る。
大編成の迫力には、かなわない。それならば、別のところで勝負する。一人ひとりに、ソロのような役割を与える。
「大勢の中のひとりなら、なんとなく過ごせてしまう。でも、みんなが主役なら、そうはいかないでしょう」

音の合わせ方にも工夫がある。先生は、生徒たちに問いかける。
「じゃんけんぽん、ってすごく難しいんですよ。テンポもタイミングも強弱も、決まってないのになぜか揃う。なんでだと思う?」
答えは、相手の様子を見ているから。「吹奏楽も一緒なんです」。子どもたちは、お互いを意識することを覚えていく。
中学に入るまで、吹奏楽の楽器に触れたことのなかった生徒も、1年も経てば、音を奏でられるようになる。派手な技術を磨くのではない。やさしい曲を、音色を合わせて、ていねいに演奏する。小さなバンドだからこそできることを、ひとつずつ積み上げた先に全国の舞台があった。

「アンパンマン、やろう」
これまで結果を出してきた角国先生だが、子どもたちに伝えたいのは、金賞をとることではない。
「究極、みんなが涙する銅賞なんです」
賞の色には、技術的な要素も大きいという。でも、人の心を動かすのは、テクニックではない。だから先生はいつも、生徒たちに問う。
「どこに向かって、演奏してるの?」
高い音が出せた。難しいところが吹けた。それは、自己満足にすぎない。聴いている人の心に届いたかどうか。「お客さんの反応が、すべてなんです」と熱を込める。

先生には、忘れられない場面がある。吹奏楽コンクールの中国大会で金賞を受賞する前夜のことだ。
中国大会は隣の山口県で開催された。勝ち進むとは思っていなかった浜田東中は、宿の手配もしていなかった。あわてて探して、ようやく取れたのは、山あいの「自然の家」。本番を翌日に控えているのに、落ち着いて練習する場所もない。隣の部屋には、保育園の子どもたちが泊まっていた。
「演奏を聴かせてもらえませんか」。園の先生に頼まれた角国先生は、生徒たちに声をかけた。
「アンパンマン、やろう」
生徒たちは、保育園児の前でアンパンマンを演奏した。じーっと聴いていた小さな子どもたちの目に、涙がにじんだ。その姿を見て、生徒たちも、泣いた。
「あの子たちは、そこで、ひとつになったんです」
翌日、本番。演奏を終えると、結果発表を待つよりも前に、生徒たちは泣いていた。このとき、密着していたテレビカメラに、当時の3年生が語った言葉を、角国先生は覚えている。
「先生に感謝。親に感謝。仲間に出会えたことに感謝。いろんな人に支えられて今があって、思いっきりやれた」
良き理解者になってほしい
「プロの演奏家を育てたいわけじゃない」と語る角国先生には、生徒たちに伝えたいことがある。
挨拶ができて、楽器を大切にする。大事にしているのは、演奏の上手さより、人としての在り方だ。「結局、そういうところが演奏にもつながる」。
生徒たちが大人になったとき、どこかで子どもたちが演奏しているのを見て、心からの拍手を送れる人であってほしい。頑張ってるな、緊張してるな、とわかってあげられる、「良き理解者」にと願う。
打楽器の石原さんは先生のことを、こう話していた。
「角国先生は、音楽で大事なことも、人として大事なことも教えてくれます」
舞台に立つ者の気持ちは、立ったことのある者にしかわからない。支えてくれる人がいて、その場に立てていることを、生徒たちはもう知っている。

壁を越えていく
中学で吹奏楽を始めた生徒たちに、「楽器を演奏するようになって変わったこと」を聞いてみた。
部長を務める上野さんは、人前に出ることも話すことも苦手だった。小学生の頃には、学校に通えない時期もあった。でも、吹奏楽部の部長に自ら手を挙げた。「自信はなかったけど、やってみたかったから。前の部長も、その前の部長も、すごくかっこよくて。私もなってみたいなって」。
今では舞台に立ち、部長として挨拶をする。教室でも発言することができるようになったと照れくさそうに笑う。歓迎演奏の始まりの挨拶をしてくれたのも、彼女だった。
サックスの佐々田さんは、「世界が広がった」と言葉に力を込める。吹奏楽をきっかけに、浜田の外を知った。全国の強豪の演奏を聴きに行き、いろんな土地の話を聞いた。今まで関わったことのない人とも音楽を楽しみ、ジャズも知った。「普通のアニメを見ても、ここのサックスいいなって思いながら見ちゃったり。今まで興味がなかったところに、目がいくようになって」。音楽を通して、ものの見方まで変わったという。

フルートの齋藤さんは、人との関わり方が変わった。もともとみんなで何かをするのが得意ではなかったが、話しかけてみると意外と話せることに気づいた。「吹奏楽部に入って、コミュニケーションの取り方がわかった」とほほえんだ。
テューバの国田さんは、全力でやることを学んだ。「吹奏楽を一生懸命やるから、勉強とかも、全力でやるようになりました」。何かに本気で打ち込む経験が、ほかのことにも広がっていった。
トロンボーンの田中さんは、仲間との関わりのなかで変化を感じていた。「ちょっとは、みんなを助けられるようになったかな」。はにかみながら、うれしそうに話してくれた。
クラリネットの東條さんは、自信を手に入れた。1年生の頃は、自分の音に自信がもてず、悩んだ時期もあった。それが、練習を重ねるうちに、変わった。「自分の音が好きになって。今は、部活が毎日の楽しみです」。
9人それぞれが、吹奏楽を通して、新しい自分に出会っていた。誰もが、この先も何らかの形で、楽器演奏を続けていきたいという。

パッションの正体
角国先生に、音楽の原点を聞くと、意外な答えが返ってきた。
「僕は、歌なんです」。そう言い切って、こう続けた。
「音楽は、心を届けるもの。心を動かすもの。歌は、自分の心を表しているから。本来は、歌えたらいい。子どもたちにも、歌えるようになってほしい。楽器もマーチングも、表現方法なんです。楽器だって、歌うように奏でる。音楽を通して、自分を表現できるようになってほしい」
楽器を歌うように奏でるとは、どういうことなのか?
楽器は、誰にでも開かれている。男性でも女性でも、高い音も低い音も、声域に関係なく音を出せる。声や言葉にできない思いも、音で表現できる。楽器があれば、いろんな壁を越えられる。
デジタルがあふれる時代に、「せーの」で息を合わせて音を出す。そのアナログの楽しさを、子どもたちに知ってほしい。「楽器で学んだ自己表現は、きっと就職面接でも生きますよ」と笑う。

そういえば、熱血指導者だった先生は、いつ、今のスタイルに変わったのだろう。
転機は、30代の半ばだった。気合いで引っ張る指導に、限界を感じていた。言われたことをこなすより、金賞をとることより、仲間と協力するのが楽しい。仲間たちと気持ちを通じ合える子のほうが、ずっといい。たどり着いたのは、コミュニケーションだった。
「子どもたちが、楽器を通してコミュニケーションを取ろうと思わないと、進まないんです。偉大な指揮者は、オーケストラとの関わり方が上手なんですよ」
先生自身、学生時代は熱い指導を受けてきた。
「もっと、ハートだ。もっと、パーンと来いって、長嶋茂雄ですよね。パッションって、気合いだと思っていたんです。でも、その言葉の本当の意味は、どんな気持ちを働かせるか。心を通わせることだったんじゃないかなって。私もまだ、学びの途中です」
取材を終えると、辺りはもう真っ暗になっていた。熊が出たと、知らせがあった日だ。気をつけて帰ってね、と玄関まで送ってくれた先生が手にしていたファイルには、保護者から贈られた言葉が記されていた。
ユナイテッド・イン・ミュージック。心を合わせて、一歩一歩前へ。


