![*第二回:森 "RODO" 弘樹 [!!――先生がギターを始めたきっかけは?!!] 中1の時かな、の時に叔父さんがお年玉って言ってアコギをくれて。 元々父親がチェリスト、叔母さんがドラム講師だったりで、楽器をやってる人が周りに多かったんだよね。 [!!――森先生というとロックやメタルのイメージが多い […]](https://www.shimamura.co.jp/shop/oodaka/wp-content/uploads/sites/119/2019/07/20190723-6b6c28ccbf5f02df8755525c73afb8d0.png)
第二回:森 "RODO" 弘樹
――先生がギターを始めたきっかけは?
中1の時かな、の時に叔父さんがお年玉って言ってアコギをくれて。
元々父親がチェリスト、叔母さんがドラム講師だったりで、楽器をやってる人が周りに多かったんだよね。
――森先生というとロックやメタルのイメージが多いと思いますけど、その頃からやっぱり激しい音楽が好きでした?
いや、ぜんぜん!最初の1年くらいはゆずのコピーとか。そのうち、中3くらいだったかな、友達が通ってた伏見のヤマハ音楽教室に通い始めて。
――人生最初のステージは?
CLUB DIAMOND HALLでの発表会だね。
――どんなお子さんだったんでしょう。
あだ名が「ベートーヴェン」だった!(笑)髪型もだけど、変なやつだったから。
――森先生と言えばロックですよね、今のスタイルが出来上がったのは?
髪と髭はここ数年だけどね!ちゃんとトリートメントもしてるよ?
音楽的なスタイルだったら大学かな。軽音サークルだったんだけど、その頃はもうエレキでハードロックとかパンクとか聴いてて、まあとんがってた(笑)。
――とんがってたんですか(笑)
そう。俺よりうまい奴はいないって思って(笑)。だからつまんなくてドラム1年くらいやったりしてて、全然こういう仕事したいとか、そういうのは考えてなかった。俺、熱田の無印良品でアルバイトしてたもんね。
――えー!意外ですね。
新瑞橋の新店ができた時も熱田から異動させてもらったりさ、懐かしいね。
――じゃあ大学を出て、それからすぐ先生に?
いや、そのあと甲陽…専門学校に入り直して。演奏学科ね。
――影響を受けてギタリストは?
ジミヘンだね。出会ったのは遅かったけど…20歳くらいかな。
【ジェームズ・マーシャル・ヘンドリックス】(James Marshall Hendrix、1942年11月27日 - 1970年9月18日)アメリカ合衆国のミュージシャン、シンガーソングライター。ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)の名で親しまれ、日本では「ジミヘン」の略称で呼ばれることもある。――Wikipediaより |
――楽器へのこだわりを教えてください。
楽器のこだわり?こだわりねえ…特にないっちゃないんだよね。ある一定の水準を満たしてればいいかなって。
――それは見た目?弾きやすさ?
弾きやすさかな。けっこうこだわって色々やってたんだけど、結局なに弾いても自分の音になってきたっていうか。だから特にこだわってないんだよね、最近は。なんでもよくなってきた(笑)
――こだわっていた頃は?
うーん、見た目くらいかな。俺ね、ほんと全然わかんないんだわ、ギターのこと。特に木材のことに関しては「これがアルダーのボディで〜メイプルだからこんな音で〜」とか言われても「ああ…」みたいな(笑)全然わかんない。弾きやすけりゃいいじゃん!って。ただまあ、その人に合ってる合ってないはあるから。あとは、ハム(※)しか使わないとか。中学生の時に名古屋パルコの島村楽器で買ってもらったのも、Gibsonのエクスプローラーでさ。とがってるやつ。
――やっぱり尖ってたんですね(笑)
そうそう(笑)その時ほんとにやんちゃだったもんで、ネックをね、4回ぐらい折った(笑)
――折った?!
ライブで放りなげて。確か12万円くらいで買ってもらったのかな?当時新品で。それで、直すのに1回4・5万かかった。
――えー!
しかもフル改造してて。塗装から何から、一から全部。ギターの値段超えてたっていうね(笑)。
――ちなみに今持っているギターとの出会いは?
これ?ヤフオク。
――(一同爆笑)
これもね、2万くらいで買って、結局16…7万?かけて塗装から全部やり直してもらった。中も配線とか全部変えて、最初から残ってるのはボディーとネックくらい。そんなに高価なパーツとかを使ってるわけじゃないけど、自分の好きなように。
――気に入ってるのは?
気に入ってるとこ?コントロール系かな、この…ここの、……全部説明した方がいい?
――いえ、大丈夫です(笑)
こだわって見えるかもだけど、結局音が出るときは一つじゃん。だから自分の好きな音が決まったら、それに合わせて全部変えとくといいじゃんって。いろんな選択肢があるよってだけで。
――いろんな楽器がありますけど、全部の楽器でもギターって相当選択肢がありますよね。
うん、そうね。
――生徒さんが楽器を買うってなった時、どう選んでもらいたいですか?
見た目。値段はその人の予算次第だからそれに見合えばいいかなあ。エレキならね。アコギはそんなにカラーが選べるわけじゃないからさ、例えば女性なら小ぶりなやつだったりとか…いやでもやっぱり見た目かなあ(笑)
――先生はエレキギターがメインですよね。エレキギターの魅力をちょっと聞いてみていいですか?
エレキギターの魅力かあ…。うーん、難しいよね、ギターって(笑)今でこそ思うけど、終わりがないから。どんなけやっても。自分のスタイルも毎年変わるのね。今はジャズ仕様。アコギくらいの太さの弦を張ってる。昔はバチバチにキメてたのが、今はなるべくやわらかくしてる。だから、ずーっと遊べる楽器。楽しい。
――ずっと弄ってられると。
うん。配線とかも…あ、なんだったら俺シールド販売してるしね!メルカリで!(笑)
――楽しそう!
もともとお金がない所から始まってるからね。最初こそ買ってもらったけど、自分で2本目買おうと思ってもお金がないし、ケーブルとかも買えないし。高校生の頃から自分で作って遊んでた。ギターも配線から何からぜんぶ弄ったりして…もうどっか行っちゃったけどね、そん時のギター。
――それは独学で?
独学だね。最初はクラフト系の専門学校に行こうと思って体験入学みたいなのに行って。そこで簡単なエフェクターを作ってみたり。もともとハンダゴテは使ってたから…なんで使ってたんだっけ、あ、ケーブルか。
――普段練習はしていますか?
仕事の合間だね。家だとあんまり弾かないかな。
――どういう時に音楽を聞く?
うーん、何らかの形でずっと流れてるね。車乗ってる時とか。家でも無音はないかな。
「あの人」の、「あの人」。
――先生にとってギターとは?
ギターは…いい遊び道具って感じかな。この仕事をやりたくてやってきたんじゃなくて、ずっとやってて、気づいたらこうなってたから。趣味の延長なんだよね。いやんなる時もあるよ。
――先生でも嫌になるんですか・・・。
「ギターはもういいや」ってなる時あるよ。めっちゃうまい人見ると(笑)
――自分はどんなギタリストだと思われていると思う?
変なギタリスト。
――変なギタリスト!(笑)
そう(笑)。なんて言うのかな、「思い描いてる形で弾いてほしい」って言われても、俺はちょっと違う方向に行きたがる。だからよく、「ぶっとんでる」って言われるし。「こっちだよ」って道があっても、そこを通るとみんなと一緒になっちゃうからわざと避ける。
――とんがってますね。
うん。面白い方に行っちゃう。だからBGMの演奏とかは向いてないかも。絶対変な音入れたくなっちゃう!(笑)
――どんなことから刺激を受けていますか?
刺激を受ける…知り合いから「このギタリストいいよ」って聞いたりとか、YouTubeで観たりとか。好きなギタリストとかね。
――ちなみにその「好きなギタリスト」って?
どうだろう、年代ごとに違うスタイルを持ってるってとこならジョン・スコとか。
【ジョン・スコフィールド】(John Scofield、1951年12月26日 - )アメリカ合衆国の音楽家、ギタリストである。ジャズ、フュージョン系のミュージシャンとして、セッションやソロで活動。――Wikipediaより |
――どんな方ですか?
ハゲてる!
――あははは(笑)
もうハゲたね、あの人も。ギタリストだいたいハゲてるから!(※個人差があります)
――ギタリストと言えば、ジミ・ヘンドリックスに影響を受けたと言うことでしたけれど、「この曲に衝撃を受けた!」という曲があれば教えてください。
ジミヘンで衝撃的だったのはやっぱり【Machine Gun】かな。
――「歯ギター」は真似した?
真似したした!あれね、ちょっと前歯が出てないとできないの。上の前歯で弾くのよ。俺ここ差し歯だからできない。
――まさかその練習で?!
ちがうちがう!(笑)虫歯で。
――ジミヘンに衝撃を受けたのはおいくつぐらいですか?
ハタチぐらいじゃなかったかな。ジミヘン知ったのもけっこう後だったから。70年代とかで亡くなってるんだよね。
69年から70年代ぐらいに「バンドオブジプシー」っていうので活動してた時期があって。もともとジミヘンってアイドルっぽい感じでやってたのね、そこから黒人の人たちだけで組んだバンドがバンドオブジプシー。【Machine Gun】もその時期。この60年から70年代が素晴らしいの。
2回ぐらい公演してるんだけど…フィルモアイーストだったかな?全部残ってるんだけど、それがほんとに素晴らしい。そのライブ映像をけっこう観てたね。
――夢中だったんですね。
ジミヘンってね、いまだに未発表音源が出るのね。
――へー!!
うん、いっぱいJAM(ジャム)(※)ってたんだよね、その頃。
だからいろんなアーティストとの未発表音源がいまだに出てくる。マイルス・デイヴィスともやってるからね、あの人。
【JAM】ジャム・セッションの略。本格的な準備や、予め用意しておいた楽譜、アレンジにとらわれずに、ミュージシャン達が集まって即興的に演奏をすることである。特にこれを重視するバンドをジャム・バンドという。類似語としてアドリブやインプロヴィゼーション(即興)がある。 |
マイルス・デューイ・デイヴィス三世(Miles Dewey Davis III、1926年5月26日 - 1991年9月28日)アメリカ合衆国出身のジャズトランペット奏者。作曲家、編曲家。日本には彼を「モダン・ジャズの帝王」、「モダン・ジャズの帝王」と呼ぶジャズ・ファンやジャズ評論家もいる。――Wikipediaより |
――近しい部分があるんでしょうか。ジミヘンの型にはまらない所というか、やりたいことをやりたいだけやる所というか。
うん、そうね。影響を受けてはいるね。…ジミヘンなんて、あの人譜面も読めないんだよ。あの当時としてはまだ誰もやってないことをやってた。JAMって言って、みんなで音を出すね。一応フォームとか構成は決まってるんだけど、その中は自由に演奏していく。当時はまだ誰もジャムするってことを知らないから、全然ついてこれなかった。
――そうなんですか!
有名なのだとウッドストックでのライブがあるんだけど、ジミヘンと別にもう一人ギタリスト、そこにドラム、ベース、コンガとか他にもいて、ジミヘンがギターボーカルで。けっこう大人数でやってたんだけど、cdで聴くと3人の演奏になってるの。ギターとベースとドラム。後の音はすげえちっちゃい。たぶんレコード会社の人が3人の…あ、もともと3人のバンドだったからさ、3人だけの感じで売り出したかったんだろうね。でもジミヘンはJAMがしたかった。だからいっぱい人数を入れて試そうとしたんだけど、あんまりうまくいかなかった。
――なるほど、今の時代だともう珍しくもないですもんね、アドリブ演奏的なものは。
聴いてるとたしかに「今これなんの時間?」っていうとこがある(笑)。みんなわかってないから。どうしていいかわかんない状態。
彼のそういうとこがすごいなって思う。
よく言うんだよね。「やればできる。でもそれ、やらないとできないからね。」って。
――音楽を長く続けるコツってなんだと思いますか?
楽しむことだね。楽しむことと、遊ぶことだね。苦しくなったらやめたくなっちゃうからね、人って。
――苦しくなったことが?
専門学校時代かな。
――大学を出てから専門学校に入られたんですよね。
うん、演奏学科でね。ジャズとポップスの専門学校。集団で集まる場所ってさ、何人かはアウトローな人がいるじゃない。その何人かに入ってた(笑)。入学式にスカジャン着てったの。金髪で。そしたら「メタル好きなの?」ってアウトローな感じの子達に聞かれて「うん、好きだよ」って。で、その仲間たちとでメタリカとかコピーして弾いてた。ジャズとポップスの学校なのに(笑)。
――いったいどんな空気感だったのでしょうか(笑)
今だからこそ笑って言えるけど、相当嫌われてたね!
――あははは!(一同爆笑)
みんなはストイックに練習してるのに「イエーイ」って。爆音で。こういうスタジオみたいに2重扉にもなってなかったもんで、ビルの中だから換気扇も内側ついてて・・・・
――漏れちゃいますね。
そう、ダダ漏れだったらしくて(笑)。3階の溜まれるスペースがあって、その周りを囲う感じでスタジオがあるんだけど、うるさかったろうね。
――先生は確か甲陽音楽院のご出身でしたよね。
うん。同期だとサックスの纐纈歩美さんとか、キーボディストの宮川潤くんとかね。
――ご自分のやりたいことをやっておられた先生が「苦しくなった」というのは?
元々自分についてた先生がぶっとんだ人だったんだけど(笑)、トイレでタバコ吸っちゃいけないって決まってるのにその吸って貼り紙されたり…
――それは駄目ですね!(笑)
プライベートレッスンで教室に行ったらアンプの上に足乗せて、「なんかある〜?ないなら終わろっか」みたいな。そしたらその部屋にも「アンプの上に足を乗せないで下さい」って貼り紙がされて(笑)
――(一同爆笑)
アンサンブルレッスンってのがあってさ、もともと俺はそこそこ弾けてたからちょっと小難しいジャズのアンサンブルのグループになったことがあって。キツかったのはそん時の、関西から来てた竹下先生って人のレッスン。それが一番キツかったんだよね。
――ほうほう。
あのねー…抽象的すぎて!「森くんそこ、救急車みたいな音だしてくれるかな?」って。ジャズ・ブルースでだよ?!(笑)「え?!」ってなって。「救急車っすか?」みたいな。悩みに悩んでたら、次の週に竹下先生がそれをやってくれて。
――救急車でした?
「ああ…たしかに救急車だな」って。ほんと抽象的なの、その竹下先生が!
あれはもうキツかったなあ〜、当時はジャズなんかぜんぜんできんかったし。高速のブルースなんかついてくのが精一杯だった。
――それが一番やめたかった時?
あれはね〜もうね、ぜんぜんひけんかったからね!(泣)ジャズってなんだろうって思った。
――なるほど、壁に当たった感じでしょうか。
うん、最終的に竹下先生に「僕ってどうなんですかね」って聞いたら「ん〜?森くんはそのままでいいんじゃない?」って言われて「あっ、そっすか」って(笑)そん時はジャズぜんぜんできなくて恥ずかしかったね。
――その頃の経験は今に活かされていると思いますか?
忍耐力はついたんじゃないかな。やりゃできる、っていうのがだいぶ分かってきた。で、やらにゃできん。(生徒さんにも)よく言うんだよね、「やればできる、でもそれ、やらないとできないからね」って。
――その時できなかったと仰られましたけど、でも今は、ジャズの年なんですよね。
そうね、今は。また来年は変わるかもしんないけど。
やっぱり楽器って、音楽って楽しいよってことかなあ。
――レッスンを通して生徒さんに伝えていきたいことは?
どうだろうな…やっぱり楽器って、音楽って楽しいよってことかなあ。うん。
練習はね、けっこうつらいこともあるんだけど、でもできるようになったら楽しいし、あと人と合わせて楽しむっていうのは格別なものがあるから。
――いいですね、人と合わせて楽しむ。
ギターをやる人って、引っ込み思案な人が多い気がするんだよね。でもギターって花形楽器だと思うし、何やったってどうしても目立っちゃう。だから、目立つことを恐れないでほしい。人と合わせるのって怖いし、失敗したらどうしようってもちろん思っちゃうけど、そこを乗り越えてこそだと思うんだよね。仕事で人の前でプレゼンをするとか、そういうのと同じだと思う。ある程度準備して、話すことを決める、そういうのと。でもギターってメロディを弾くことも、コードを弾くこともできる。リードもいける。サブもいける。なんだってできる。そう言った意味では万能だよね。
――なるほど、自分に合った形でいいんですね。
うん、人それぞれでいいんだと思う。発表会やステージを楽しむでも、家で一人で楽しむでも。
――では最後に、自分も楽器を始めたい!という方にアドバイスをお願いします。
好きな曲、バンド、アーティスト、なんでもいいからまずは好きなことを見つけることだね。「これ!っていうのは特にありません」「なんでもいいです」って人が最近はすごく多いんだけど、意外と嫌いだったり、趣味じゃない音楽はあったりする。嫌いになるには理由があるじゃない?声が嫌いとか。でも聴いたわけだ。そういうとこから「じゃあ何が好きなんだろう?」ってもっともっと自分を知るのが大事だと思う。
森 "RODO" 弘樹
14歳の時にギターを手にしてからこれまで様々なジャンルの演奏を経験。四年制普通大学卒業後本格的に音楽の道を目指すべく、同年甲陽音楽学院コンテンポラリーミュージック専攻エレキギター科入学。 佐藤 忠行氏、柴田 達司氏、砂掛 康浩氏、武藤 祐志氏に師事。音楽理論の基礎から応用、様々な手法を学ぶ。Jazz、 Rock、 Bossa Nova、 Latin、 Fusion、 Funk、 Metal、 Pops、 R&B、Blues、 Club Music等邦楽洋楽問わず、幅広いスタイルを吸収しつつ現在は自己のオリジナルインストバンドやハードロックバンドとしても活動中。ほかにもサポートギタリストとしての活動等、多方面で活動中。島村楽器イオンモール大高店ギター科講師。 |
音楽教室コラム「音楽と、暮らす。」
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「今の暮らしに、ほんのちょこっと音楽を。」をテーマにイオンモール大高店のスタッフが音楽と暮らすあの人を紹介するコラムです。音楽と生きる、というとちょっと大げさ。けれど、もしも今の暮らしに、お仕事や子育ての合間に、音楽があったら?天気のいい日に楽器を持って出かけられたら?音楽が暮らしにある喜びを、あこがれのあの人を通じてお伝えします。 |
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