【音楽教室コラム】「音楽と、暮らす。」第三回:吉澤俊樹

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2019年09月03日

*第三回:吉澤 俊樹 [!!――先生がベースを始めたきっかけを教えてください。!!] ベースというより、バンドをやりたくて。もともとはピアノを弾いていたけど、中学生の頃に男の子っぽい楽器をやりたくて(笑)。ピアノだと僕の世代だと女の子がやっているイメージが強くてさ。それまでは合唱コンクールでも伴奏を […]

第三回:吉澤 俊樹



――先生がベースを始めたきっかけを教えてください。

ベースというより、バンドをやりたくて。もともとはピアノを弾いていたけど、中学生の頃に男の子っぽい楽器をやりたくて(笑)。ピアノだと僕の世代だと女の子がやっているイメージが強くてさ。それまでは合唱コンクールでも伴奏を弾いてたけど、女の子っぽいイメージが嫌で、バンドっぽい楽器をやりたくてね。今は女の子もバンドをやってるけど、僕が10代の頃はあんまりいなくて。何でもよかったけど、ギターをやっている人が多くて、ドラムもいて、自分がベースやればバンド出来る!というのが始まりですね。

――初めてバンドを組んだのは?

初めて音を出したのは中学の時なんだけど、ちゃんとバンド活動を始めたのは、高校生ぐらいかな?それからはベースで。特にベースが良かったという訳ではなくて、人とやれれば何でもよかった感じです。

――ベーシストの方って、「絶対ベース!」って決めて始めた方が少ない気がします。

少ないね、折り合いがつけれる人の方が多いよね(笑)。

――パートごとにタイプのようなものがあるのでしょうか。

ギターとベースは、よく楽器が違うとか言うけど、何が一番違うって、性格が一番違うね。ギターの人は、何を言われてもギターをやるって人が多い。ベーシストは、例えばドラムがいないから、ドラムやってと言われたら、ドラムもやりますよ!ってイメージかな?一概には言えないけどね。

――こういう人はベーシストっぽいなと思う事はありますか?

どうなんだろうな、よくギターはこうで、ドラムはこうでとかあるけど、やっぱりプロデューサー気質の人が多い気がするかな!

――プロデューサーですか。

一流の人で、ディレクターとかプロデューサーになる人って、ベーシストの方が多い気がするね。トータルプロデュース出来て、大きく全体を見ている人が多いかな、性格的に。調和役・・・折れる役とかね。実際レッスンしていても、始めたきっかけは、やってほしいと頼まれたから来ましたって人いるもんね。わりと柔らかい人が多いのかもしれないね。

――女の子目線だと寡黙でカッコイイ、みたいなイメージがあります(笑)

ねえ、それ盛ってるでしょ?!(笑)

――いえいえ(笑)バンドの中でも、ベースはしっかりと支えるポジションですよね。

よいしょする人、って言うと言い方悪いけど、よいしょのうまい人が多い気がするね。ギターの人が気持ち良く弾けるようにね。単品のベーシストをやっている人で、セッションマンは、フロントの人が気持ち良くなる演奏ができたら、また呼ばれる。心の中では全然よくないなと思っていても、気持ちよく演奏させるのが上手い人が多い!

――リズムとメロディーの両方の側面がありますよね。

そう言われているけど、どの楽器もリズムは大事で、相互関係だからベースだけじゃないと思う。よく言われる、リズムとメロディーに関しては、どの楽器も一緒だと思う。ただリズムに関して、意識が高いと思われることが多いだけかな。

――リズム隊って言葉があるほどですよね。

リズム隊って、変な言葉だよね。

――バンドを始めた時はどんなジャンルを演奏してましたか?

最初はロックで、高校生の時は激しめなバンドやってたし、ジャズも両方やってた。普通のバンドマンやってましたよ。

――その時はオリジナルを?

オリジナルもカバーもやってたけど、高校生の頃から自分でイベントをやっていて。

――へー!

ライブハウスやアポロシアターを貸し切って、アマチュアの高校生のバンドをいっぱい出して、自分が主催者としてやっていて。昔は、ライブハウスで出て、お客さんを沢山呼べるようになるのが主流だと思うけど、最初にそういう所に出た時に、仕組みが全部見えちゃってね。結局バンドがエサにされているというか、自分がやった方が早いなと思って、それからイベントをやりだしてという活動の仕方かな。最初は。

――大人の事情が見えてしまったんですね。イベントは上手くいったんですか?

なんか普通のライブハウスだと3,000円のチケットを20枚売ってこいとか言われるでしょ、そう思ったらライブハウスを15万位で借りれたから、一人で6万円売り切るよりも、4〜5バンド集めて15万円売った方が早くないかな~と思って。イベントは毎回100人200人ぐらい来てたし、わりと上手くいって。そのつてでシンガーの方から、ホテルのレストランで弾く仕事をもらったのが初仕事だった。

――当時のライブハウスとバンドマンの関係はどんな感じだったんでしょう。

当時はライブハウスの店長ってすっごい発言力があって(笑)、まあダメ出しをするんだけど、そのダメ出しが全く音楽的に合ってなくて(一同爆笑)、偉そうにしてるだけだってわかっちゃって。「あーこういう所にいちゃダメだな」って思って、自分でやる方がいいなと。当時はみんなライブハウスの店長の言う事を聞いて一生懸命やっていたから。でも、わかんない、そこのライブハウスだけがひどかったのかもしれないし、あまりにも的を得てなくて、不思議だったんだよね。今はバンドが尊重されてるけど、当時は頭下げてお金払ってステージに上がって、なのに怒られるみたいな(笑)

――あはは(笑)

他の世界ではあんまり無いでしょ?!不思議な世界でしょ?!(笑)ちょっと違和感があって、オーガナイザーで行くと、めちゃくちゃ頭下げられて、立ち位置としてどっちがいいかだけで、オーガナイザーの方が良いなと思っただけで。嫌な奴とかじゃなくてね。単純に。

――楽しんでいたんですね。

だいぶ楽しかったね。仕事をしたのも、みんなお金払って出てたんだけど、僕はお金をもらってやっていたから、どっちがいいかって、こっちを取るよね。

――ちなみにそれはおいくつぐらいの時ですか?

18歳とか。

――18歳!学生さんですよね?

そう、学生しながら(笑)珍しいパターンなのかもしれないね。大学1年生の年だったけど、ずっとイベントとかやってて。

ロックバンドやっていたけど、自分が主催者だから、別でジャズバンドも作ってジャズもやる。当時は不思議なことをやっていたかな。結構激しいバンドをやっていたので。

――どんなバンドですか?

ラップとロックみたいに、当時ミクスチャーとかが全盛期で、混じり始めた頃だった。クロスオーバーな感じとかやってたかな。ヒッホップと、ロックが混じってきた頃なんで、とにかく面白いなと思ってたのかな。今では、想像出来ない結構激しいことをやってました。

【ミクスチャー・ロック(Mixture Rock)】主に日本において扱われるロックのジャンルの一つ。「ミクスチャー(mixture)・ロック(rock)」という言葉は和製英語である。よって、基本的に日本以外では通用しない音楽用語である。国によってはクロスオーバー、フュージョンとのとらえられ方もされる。

いろんな人がいて、そこで格の違いを思い知らされたね。



――吉澤先生というと、ジャズのイメージがあります。

まあ、ジャズの仕事が多いしね。

――ジャズを始めたきっかけは?

完全に仕事ですね。もともと気にはなってて。ダンスミュージックも好きだったので、いわゆるディープハウスっていう、昔のセレクトショップで流れてそうな、ジャズっぽいハーモニーがのってて、4つ打ちみたいな感じのが90年代にけっこう流行ってて。オシャレな音楽が多かったんですよ。それを作る側をやりたくて。そうやって作ってるときに、4和音以上の音楽って結局ジャズからきてるとわかって、勉強したいなと思ってやりだした。昔って、シンガーと言われる人がいて―――あ、ボーカリストとは違って、R&Bとかやってる人はなぜかシンガーと呼ばれてたんだけど。クラブでDJがオケをかけて、それに合わせて歌うっていう。

【ディープ・ハウス(Deep House)】ハウスミュージックを細分化した名称の一つ。125前後のBPMで、陶酔感を誘うメロディにシンプルなメインビートで派手過ぎるような音色は避け、緩やかに展開していく曲構成などが特徴でディスコやガラージュなどブラックミュージックから大きな影響を受けている。

――ボーカリストとシンガー?

当時は明確な呼び名の違いがあって。シンガーっていうとローリン・ヒルみたいな感じかな。当時はバンドとDJとファッションショーを全部融合させたイベントをやっていて、いろんなものがごちゃ混ぜで出てたんけど、ブラックミュージックや、R&Bを歌ってくれるシンガーさんとそのメンバーでホテルのレストランに入ったのがきっかけで。元々好きだったのもあるし、2、3曲演奏してるのをブラックミュージックを歌っている人が見て、仕事を一緒にやらないかって誘ってくれたんだよね。そういうのがきっかけで本格的にジャズをはじめた。

【ローリン・ヒル】(Lauryn Hill, 1975年5月26日 - )は、アメリカ合衆国の女性R&B歌手、ラッパー、女優。フージーズ(The Fugees)のボーカル。彼女の歌には、有色人種として、また女性としてのメッセージが込められており、その人物性やファッション性も注目される。(Wikipediaより

――なるほど。

まだ理論とかわからない状態で毎週演奏を始めて、違う曜日にプロの人が演奏してて、当時セミプロというか、違う曜日を見に行くといろんな人がいて。そこで格の違いを思い知らされたね。

――先生、実はすごいアクティブですよね!

若い時はめちゃくちゃアクティブだった。色々やってましたね~(笑)だいぶフットワークが重くなったけど。昔でいう箱バンの仕事を始めた時なんかは、譜面のルールがあって、知らない曲が毎日あって、必要最低限の情報だけがあってそれを読み取って弾いていく。その場でキーも変えて、ファイルがいっぱいあって言われた番号の曲の譜面だして、1.2.3.4.と始まって、曲の途中で2個キーを下げてって言われたりして・・・(笑)

――すごく大変じゃないですか?!

曲の途中で言われると、みんな「え、どこで?」ってなるし、カラオケマシーンならそのまま変わるけど、何小節目からかバンマスの合図でかえたり、めちゃくちゃな現場で、すごい厳しくて、まだ昭和のノリというか、まだパワハラなんて言葉もない時代で、めちゃくちゃ怒られた。今思えば大変な現場だったけど、「ポピュラーミュージックはこうやる」ということは学べたね。

――力がつきそうですね。

毎日だから、すごい経験値つくね。夜中の3時から7時まで弾いてた。

――その経験、今はなかなかできないですよね。

僕、他の先生に譜面にうるさいって思われてるかもしれないけど、その時のことがあるのかもしれないね。

――当日渡された譜面で演奏ってなかなかないですもんね。

昔はそれがスタンダードだったからね。変な仕事もいっぱいやってて、演歌の仕事もあったよ。

――興味深いです。

稼ごうと思ったら、演歌をやろうってことが多くて(笑)、当日ホールで譜面をもらって、午前中リハして、午後本番とか結構緊張する大きい仕事で、田舎のスナックに呼ばれて、昔売れてた演歌歌手の生演奏をしたりしてたね。


宝くじを買うような、確率みたいなものに昔から興味がなかった。



――音楽のお仕事において、何か転機のようなものはありましたか?

転機・・・は無いかな。僕は最初からピンで、将来的な意味でのバンドへの意識はなかったし。「東京行ってデビューしよう!」みたいな人も多いけど、そういう気もさらさらなくて・・・宝くじを買うような、確率みたいなものに昔から興味がなかった。だから転機って言えるものはないかな、ずっと「好きなこと」でもあったし、「仕事」でもあったし、当たり前のようにあった。

――先程も少し仰っていましたけど、ビジネスの感覚がとてもはっきりしていますよね。

仕事でお金をもらう音楽と、楽しい音楽とあって。限りなく円と円を書いて重なる部分もあるけど、自分の中でこれは正しいと思う音楽と、大衆音楽としてみんなが楽しめる、対価をもらう為の音楽と、両方の考えが昔からある。仕事としてもやるけど、追求する部分としてもやるっていう。ビジネス関係なく、自分のいいと思うメンバーと本気のジャズバンドをストリートで演奏する事もあるし。

――なるほど、腑に落ちた感じがします。

もちろんビジネスだけじゃなくて、アーティストっていうか、強烈に職人ぽい所も、両方あるね。僕の場合はだけどね。

――当社のDTM講師の認定を取られたのはどちらの側面が強いですか?

元を辿ると好きだから。・・・でもわからないなぁ。頼まれれば仕事でも曲作ったり、子供向けや、企業のイメージソングやCMとか、そっちも職人ぽい所もあるね。DTM使って、大学の時に数式で音楽作ったり、現代音楽ってジャンルをね、やってた。たとえば星座があって、それを五線に置いて、「曲です」とか。

―――すごい。

そういう世界があって、それっていろんな音楽をやり尽くして飽きた人がやるんだよね。音楽とは何なのか。「カテゴライズしていくとこの音楽は新しくない」とか「新しいものをやらなきゃ」とか突き詰めて、そういう方向に行きたくなる。周波数とか、まだ当時は発達していなかったけど、コンピュータ数式とかでランダマイズなプログラムを書いて、自動的に曲が出来上がる・・・とかやってて。

――ほうほう。

音楽教室に習いに来る人には全く縁がない話だけどね(笑)

――あはは(笑)

僕はそういう側面もあるね。コンセプトから考えるとか。Abletonは、色んな人がいて、前衛的で、メディアアートとか、音と映像がリアルタイムで動いたり、現代アートみたいな面が強い。なぜか昔からそういう所に縁があって、「これがアートだ」みたいなスタートもあるし、仕事のスタートもあるし、わからないけど、基本は好きだね。「何で音出すの」とか、根本から考えたりもする。「別に楽器じゃなくてもいいじゃん」、とかね。極端な方向に立っていることもあるね。

――最近ですとネット配信に憧れてる若い人が多いですがどう思われますか?

実は、匿名でネット配信もしてます(笑)自分の名前ではないけど、何人かのグループで色々やってます。そっちの活動は、顔出さずに。YouTuberとかね、人気あるよね。練習もするし、何でもやらなきゃね。

――メインのベースとの出会いは?

Fodera(フォデラ)ってブランドは、わりと現代のベースの人は好きだと思うけど、ハイエンドの象徴的な走りみたいなブランド。ちょっと前に腕のあるミュージシャンがみんな使ってて、杢目が綺麗なものが多くて、3桁いくものもあって。高価なものだったたからなかなか手に入れられなかったけどね。これはリーズナブルなモデルで、今のベースは10年位かな。昔ながらの、Fenderのジャズベースとフォデラーを足して二で割ったようなやつで、当時演奏の仕事をしていた時に、ポップスとかでも使えて、いいとこどりの楽器だったので、長く使ってます。

――スタッフからの質問です。「先生は練習するんですか?」

するよ!(笑)

――それはいつ?

いつでも、時間さえあればやってますよ!

――講師として、どんな思いで仕事をされていますか?

生徒さんが何を求めているか、コミュニケーションをとって、それを提供する事しか考えてないね。プラスアルファ、もう一段上の方には、多少は自分の芸術論とかを話す事もあります。そういう話が好きな人もいれば、そうじゃ無い人もいますね。ライフスタイルも違うから、その人らしく楽しくやれればいいね!

――最後にベース、音楽をこれからやりたい人へ

ベースは始めやすい楽器なので、やりたいと思ったら、すぐ始めた方がいいね!何でもそうです。気になったら僕に習いに来るのが一番いいです!



吉澤 俊樹(よしざわ としき)

アーティスト・クリエイター・ベーシスト・サウンドデザイナー・コンポーザー・アレンジャー。ベーシストとしてホテルのレギュラーバンドを務め、ジャズ・ラテン・ブラック・ポップス・クラブを軸に幅広いジャンルで活動。ゴスペルの名曲Oh Happy Day の初リードシンガーで、グラミー賞へと導いたシンガー、Dorothy Morrison、ハービーハンコックとの活動で知られるドラマー、James Leviらとサンフランシスコでのレコーディングにベーシスト兼、エンジニアとして参加。CMやキャラクター、子供向けの楽曲制作等、活動は多岐に渡る。環境にあった音楽を提供するプロデュース能力には定評があり、幅広いジャンルの音源制作に携わる。クラブミュージックに造詣が深い。音楽教育者としても、専門学校等で、楽器演奏から作編曲、音楽理論、の指導を行う。ネットを通じて、DTMレッスンも全国展開中。「アートの為のエンジニアリング」・「音楽のTPO」等、常にテーマを持ち、 音楽という大きなカテゴリーの中で活動を展開し続けている。島村楽器イオンモール大高店エレキベース科・ウクレレ科講師。

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「今の暮らしに、ほんのちょこっと音楽を。」をテーマにイオンモール大高店のスタッフが音楽と暮らすあの人を紹介するコラムです。音楽と生きる、というとちょっと大げさ。けれど、もしも今の暮らしに、お仕事や子育ての合間に、音楽があったら?天気のいい日に楽器を持って出かけられたら?音楽が暮らしにある喜びを、あこがれのあの人を通じてお伝えします。

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