ジストニア発症からレフティへ決意の転身。細川大介 第2のギタリスト人生【前編】

7月18日、恵比寿リキッドルームにて結成20周年を祝う『狂想演奏史〜至上のハタチ〜』を行い、10月から全国9箇所を周る全国ツアー『絶好旅行』の開催、そして50曲収録のベスト盤『絶好』のリリースを発表したLACCO TOWER(ラッコタワー)。その『狂想演奏史〜至上のハタチ〜』で、ギタリストの細川大介が数年前より身体の筋肉が異常な運動を起こす“ジストニア”に悩まされていることを告白。25年間も続けてきた右利きから、レフティギタリストへ転身するという前代未聞の決意を発表した。想像を絶する苦悩と対峙し、バンド結成21年目にして第2のギタリスト人生を歩み始めた細川大介。インタビュー前編では、ジストニアの発症からメンバーへの告白、葛藤、そして今後の人生を左右する重大な決断に至るまでの話を聞いた。

初のホールワンマンツアーは終演後、ひたすら泣いているような状況でした。

――まずはジストニアについてお話を聞かせてください。右手に違和感を感じ始めたのはいつからでしょうか?

細川:はっきりと覚えているのは、先輩バンドのTHE BACK HORNと一緒に2マンツアー『五人囃子の駆け落ち騒ぎ』を周っていた2018年6月。ギターの菅波さんが僕のプレイを見て“大介、そんな弾き方だったっけ?”と言ってきたことです。メジャー4枚目のアルバム『若葉ノ頃』のツアー中でもあったのですが、3枚目のアルバム『遥』を製作していたあたりから確かに弾きづらいと感じるときがあって、毎日数ミリ単位でギターのストラップの位置を変えていました。“何か気持ち悪いな”とは感じていたものの、基本は神経質な性格なので、そのときはあまり気にしないようにして“今度、鏡で確認してみよう”程度にしか思っていなかったです。ただ、当時は会社経営とバンドとの両立で日々とても忙しく、自分のプレイを見直す時間がまったくありませんでした。

それから2週間後のライブ前。少し時間があったので、久しぶりに基礎練習をしてみたのですが、信じられないくらいまったく弾けなかったんですよ。一番簡単な運指練習すらできませんでした。“おかしいな”と思いつつも、ライブは普段通り終えることができたので、あまり深くは考えないようにしました。ですが、家に帰ると思い出してしまい、もう一度基礎練習に挑戦してみたものの、やっぱり全然弾けなかったんですよ。何が悪いかもわからない状況で鏡を見てみたら、確かにヘンな弾き方になっていたんです。

――フォームが?

細川:フォームがヘンだなって。これが菅波さんが言っていたことかもしれないと思い、自分の昔の映像を見ながらフォーム矯正を試みるのですが、それがおかしなことの始まりというか。当時は病気という自覚もないから、とにかく練習すれば元に戻るだろうくらいに考えていたんですけれど、やればやるほど違和感がどんどん大きくなっていくし、弾けないというストレスでイライラする。それでも無理に練習していたら、ついにピックを持つ指先にまで違和感を感じるようになってきて、今までの持ち方ではピックを持てなくなってしまったんです。

――力が入らない感じですか?

細川:持つだけならできるんですけど、ギターを構えると力が入らないんです。 “これはまさか病気じゃないか?”と思うようになって調べはじめたら、ジストニアという病気があることを知って。症状を見ると“完全に俺と一緒じゃん”と。でもそのときは“自分がそんな病気になるはずがない”という想いと、“もしかしたら”という想いが半々。病院に行って“ジストニアですね”と診断されてもすぐには信じられなかったし、信じたくなかったですね。

メジャー4枚目のアルバムをリリースして、LACCO TOWERはバンドとしてステップアップしなければならない時期でもありました。初のホールツアーも控えていて、このタイミングで休むなんてとても考えられなかった。本当にジストニアなんだとしたら“自分のやり方で病気を克服すれば、それは僕にとって糧になる”という気持ちで、その日から猛練習を始めました。

――新しい弾き方のために、色々な方法を試したんですね。

細川:そうですね。その結果、どんどん弾けなくなったんですが(笑)。ピックが持てない日もあれば、ピックは持てるけれど、ギターを構えることができないとか。腕が動かない日もあれば、ストロークで空振ったり、チューニングすらできない日もありました。日によってさまざまな症状があって、手首が動かないから腕だけで弾くこともありました。

――腕ごと上下に振る感じ?

細川:そう。無理矢理動かすのですごく痛いんですよ。今でもそうですが、日によっては痛み止めを飲まないとライブができないから、ライブに照準を合わせてリハーサルはなるべく弾かないようにする。それでも、ライブ中に痛みは出るし、そんな状態だからロクなプレイもできない。初のホールワンマンツアーは終演後、ひたすら泣いているような状況でした。

――そのとき、メンバーには相談していたのですか?

細川:そうですね。でも伝えたのは“ちょっと調子が悪い”くらいで。同じメンバーで会社経営とバンドの両立ってすごく難しくて、バンドとしてはとても仲が良くても、会社では方針で揉めることもあって、“こんなにつらいことがあるけれど、こいつらには言えない”みたいな。

唯一の救いはバンドメンバー、そして家族の存在でした。

――ホールツアーが終わった後、治療はされたんですか?

細川:通院するようになって、ジストニアは心の病も関連していることを知りました。会社のストレスも関係していると医者に告げられ、精神的な治療にも通うようになるんですけれど、全然良くならないんです。治療方法としては手術という選択肢もあるそうなんですが、治る確率は決して高くはないし、術後は確実に一度下手になるらしく。日常生活にも支障が出る可能性があると知り、そこは選択しませんでした。

――それは怖いですね。

細川:ツアー、そしてアルバムも出さなきゃいけないという大事なときに、手術をしたら活動が止まっちゃうじゃないですか。なにより賭けになってしまう。だから色々な方法で治療をしながら、ジストニアと戦う先輩方に話を聞きに行ったりしながら、解決策を探していくのがそこからの2~3年間でしたね。レコーディングも本当にきつくて、弾けなくなっていく自分を自覚してからは技量が落ちるスピードがものすごく早かったですね。

――“そんなことない、大丈夫”と抗っていた部分を認めてしまったことで進行が早くなった?

細川:認めたからというよりも、未来への焦りという部分が大きいと思います。レコーディングではギターを掲げるように弾いたり机の上に置いて弾いたり、色々な向きで試しました。たまに症状があまり出ないポジションがあるので、そこで一気にレコーディングしたり。ピックが持てないこと以外にも、手首が固まって外側に反るようになったり。痛みでレコーディングが耐えられないから、手とギターをガムテープでぐるぐる巻きにして弾いていたこともありました。

そんな目まぐるしい毎日の変化にも、ジャストフィットする日がたまにあるんです。“この弾き方なら!”と思うんですけれど、次の日にはその弾き方では弾けなくなっている。そのたびに新しい弾き方を考えて、大体50パターンくらい身に付けました。それは今も変わっていないですね。ピックひとつにしても、例えば人差指に付けるタイプを使ったり、医療用のテープにピックを貼り付けて親指と人差指を固定して弾くときもあれば、サムピックを中指に装着して弾いてみたりと色々なパターンがあります。そのどれかがレコーディングのときにハマるので、“じゃあ今日はこれで弾こう”といつも試行錯誤しています。

――それはつらい。どんな心境で過ごしていたんですか?

細川:一番は“ギターを辞めたい”という気持ちが大きかった。当たり前には弾けなくなってしまった自分が何よりも嫌だったし、僕が思い描くプロはこんなんじゃない、プロとして恥ずかしいという想いが一番強かった。それと、右手・右腕はこれまでと変わらずあるのに、ピックを持ってギターを弾くときだけ弾けなくなることを説明できないことのつらさ。何度も逃げ出したかったし、もう弾きたくないと思うときもあったし、躁鬱状態でしたね。それでも会社のことやメンバーのこと、社員さん、お客さんのことを思うと辞められない。“俺の人生これでいいのか?”とか“今日辞めるって言おう”とか、ずっと考えながら毎日を過ごしていましたね。

それでも唯一の救いだったのはバンドメンバー、そして家族の存在でした。メンバーとは仲が良かったし、楽しくやれていたから続けられた。家族の存在も大きいですね。家では躁鬱が激しいときがあり、何時間も同じフレーズが弾けない時など、“ふざけんな!なんで俺はこんな簡単なのが弾けないんだ!”って叫んでいるのを止められることもありましたが、それでもずっと支えてくれました。

この記事を書いた人

溝口 元海

エディター、ライター、フォトグラファー。