私と楽器屋さん Vol.05

幼い頃から島村楽器のドラムレッスンに通い、風邪などの体調不良を除き一度もレッスンを休会することなく東京大学文科一類に現役合格したI.Hさん。そんなI.Hさんを、入会当初より指導、見守ってきたのが島村楽器 横浜ビブレ店のドラム科講師・徳永康之先生だ。家族とも友達とも親戚とも違う、だけど付き合いが長く固い信頼関係で結ばれている2人は、師弟というよりも年の離れた兄弟のようだ。難関大学への受験に向けて、なぜI.Hさんはレッスンを休むことなく通い続けたのだろうか。

I.Hさん(左)と徳永康之さん(右)

1人の大人の人間として
すごく面白い先生だなぁと

 I.Hさんが初めて島村楽器を訪れたのは5歳の頃。音楽好きの両親の間に生まれたI.Hさんは、家で流れていたゴダイゴのライブ映像を観て、鉛筆をスティックに見立てては扇風機や机といった身の回りのものでリズムを刻んでいたという。ピアノを習わせたかった両親の想いとは裏腹に、ドラムを習いたいとおねだりしたそうだ。

I.Hさん 両親がゴダイゴを好きでライブにも観に行ったりしていて、僕は幼いながらもトミー・スナイダーさん(Dr)のプレイに魅了されて。さらに天邪鬼だったのか、ピアノを習わせたかった両親に「嫌だ!ドラムがいい!」と言ったみたいで(笑)。父親がワールドミュージックが好きで、家には父親にしか価値がわからないようなCDがたくさんあったんです。そういう意味では、恵まれた環境にあったと思います。

 ドラムレッスンに通うために訪れた島村楽器。そこで出会ったのが、ドラム科講師の徳永康之先生だった。音楽教室を営む家庭に生まれた徳永先生は、慶応義塾大学哲学科卒業後、バークリー音楽院に留学。お互いが会った頃の印象をこう振り返る。

徳永さん いつもニコニコしていて、よく覚えているのは小学校1〜2年生のとき。右側にある太鼓は常に右手で叩いていて、両手の使い方を教えても絶対に右手で叩いてましたね(笑)。

I.Hさん 徳永先生と初めて会ったときのことはすごく覚えています。ファンキーというか自由というか、まだ5歳だったので先入観もなく、1人の大人の人間としてすごく面白い先生だなぁと。だからこそ13年間も続けられたのかなと思います。

ドラムを通じて息の抜き方や
メンタルのコントロールの仕方を学びました

 中学・高校受験や、部活動、塾など、学校が忙しくなるとレッスンを減らしたり一時休会する生徒さんが多い中、I.Hさんはレッスンに通い始めてから13年間、週に一度、火曜日に行われる個人レッスンは欠かさずに受講。休もうと思ったことはないのだろうか。

I.Hさん ないですね。大変ですが、部活だったら週5〜6回あると思うんですけど、レッスンは週1回ということもあってちょうどいい距離感なんです。受験時期は息抜きみたいな感じでしたし、レッスンをやめて受験に受かっても達成感がないというか。レッスンをやめるくらいだったら別に落ちてもいいかなぁと(笑)。それは自分の中で譲れないプライドというか、ラインがあるんだと思います。格好悪いというか。ここまで続けてきたんだから、レッスンをやめずに受験も受かろうと。もちろん、友達にはよく言われましたよ。“受験中にドラムを続けていてすごいね”って。もしかしたら友達は“あいつ落ちるんじゃないか”と心の中で思っていたかもしれないけど(笑)。

徳永さん やっぱり受験はひとつのハードルだから、正直なところ、途中でレッスンはやめるのかなと考えたこともありました。多くの受験生は息抜きっていう感覚で通えないし、親御さんも大変でしょうから。そういう意味でも、続けられたのはご両親の理解があったことが一番大きいかもしれないですね。受験の数日前でもいつものニコニコで「TSUTAYAに行ってCD10枚借りてきた」って聞いたときには、さすがに本当に勉強しているのかな?って不安に感じたこともありましたけど。

 しかし、レッスンを通じて受験に活かせる部分もあったそうだ。

I.Hさん 人によっていろいろな息抜きの方法があるじゃないですか。受験で得たものがそれで、要はドラムを通じて自分なりの息の抜き方やメンタルのコントロールの仕方を学びました。レッスンに通ってドラムを学ぶのは当然だから、プラスアルファ、メンタルコントロールを学ぶ。その最たる例は、これは僕だけではないと思うんですけど、受験当日の行き帰りも音楽を聴いていましたし、東京大学は最後の試験が英語なんですけど、僕は英語が得意なので絶対に取らなければいけない状況だったんです。失敗できないという部分で、それがプレッシャーになってしまう場合があるんですけど、そこは開き直って試験直前でも音楽を聴いていましたね。

 レッスンの時間を勉強に当てたほうがいいと思ったことはなかったのだろうか。

I.Hさん もちろんそれはあります。でも2つ考え方があって、“しゃべっている時間があるんだったら勉強しろ”という考えの先生もいるんですけど、もうひとつの考え方は“そこまで勉強に費やしたら人間としてどうなのか?”と。勉強をする前に人間だから、人間として幸せな生活をしたうえで勉強しようと思ったんですよね。だから、仮に受験に落ちたとしても“ドラムを習っていたから落ちた”とは絶対に言いたくなかったんです。

僕にとって島村楽器は
音楽のベースキャンプ

 受験勉強、それが東京大学であればなおさら精神的にも鬱屈してしまいそうだが、I.Hさんにとってレッスン、そして音楽は人としてあるべき姿を思い起こし、また停滞した気分をクリアにする役目を担っているようだ。ドラムを教える立場として、徳永先生も受験勉強中のレッスン内容に気を配る部分もあったという。

徳永さん レッスンに通い始めた小学1〜3年生くらいのときは、まずは楽しいと思うことが大事なので、遊びつつドラムのこともしっかりと教えて、中学受験の勉強が始まるとレッスンは息抜きのニュアンスが強くなってくるので、おさらいとか、断片的でもいいから好きな曲とか楽しい曲を中心に伝えていました。大学受験のときはさすがに僕も“本当にレッスンに来ていて大丈夫なのかな?”って心配になったこともなかったわけではないけど、逆にちょっとでも役に立つことをしようと思うようになったんですよね。たとえばはじまりの挨拶のときに「最近は何に興味があるの?」って聞くようにしてみると、元素記号の本とかを出してきたりするんですよ(笑)。そこから15分くらいは元素記号の話をしたり。あとはドラムにしても、知的好奇心が満たされるようなドラムの知識とか、歴史を絡めた音楽ジャンルの話をしたり。とにかくI.Hくんは、その都度その都度興味を持っていることがあるので、そのあたり引き出すようにはしていましたね。

I.Hさん 先生がそんな風に意識してくれていたなんて、今日初めて知りました。改めて、徳永先生でよかったなって思います。ドラムばかりをずっと教わっていたら、今とは少し違っていたかもしれないですね。

 そして2019年、無事に東京大学に入学。合格を告げられた日のことを、このように振り返る。

徳永さん その週の土日に試験があっても、火曜日にいつも通りレッスンに来ているわけですよ。それがまず、普通の感覚を持つ人間からしたら理解しがたい(笑)。そして次のレッスン時には合格が発表されていることはわかっていて教室に行くと、待合席でI.Hくんが暗い顔をしてテーブルに座っていたんですよ。あれ?これはもしかして・・・と思う間もなく、本人は演技している自分を我慢できなくなったのか、すぐにニコニコして「受かりました」って。合格したのを聞いて、自分のことのようにうれしくなりましたね。

 ドラムを楽しみつつ、島村楽器のレッスンをメンタルコントロールの場として活用したI.Hさん。レッスンをやめていたら、もしかするとまた違った結末を迎えていたかもしれない。そんなI.Hさんにとって、島村楽器とはどんな存在なのだろう。

I.Hさん 僕にとって島村楽器は、音楽のことで困ったらとりあえず行けば間違いない、まさに音楽のベースキャンプ。当たり前のことかもしれないけど、皆さんすごく音楽に詳しいんですよ。大学に入ってから楽器を始めたいと僕に言ってきた子がいて、僕はすぐに「島村楽器に行って店員さんに聞くのが一番いいよ」って勧めました。どうしてかと言うと、知識量はもちろんですが、気さくな方が多いんですよね。音楽でわからないこと、知りたいことがあったら島村楽器の店員さんに聞けば、1聞いたら10返してくれる人たちがいらっしゃるのですごく安心しています。音楽という冒険をする中で、いつもベースキャンプであり続けてくれる存在です。

こちらの記事は、2019年9月に島村楽器(株)の社内報に掲載した記事を一部編集し、出演者の許諾を得て転載しております。

この記事を書いた人

溝口 元海

エディター、ライター、フォトグラファー。