「楽器を吹くのは好きじゃない」楽器店の店員が、50人の吹奏楽団を作った理由

取材当日、レンタルスタジオの重い扉を開けると、正面にひときわ目を引くブラウンのドラムセットがあった。ピアノやアンプも揃っている。「こんにちは〜!」と入り口から現れたのは、加々見圭祐さん(30)。島村楽器イオンモール直方(のおがた)店の管楽器担当だ。今日は午後出勤らしい。

「朝は吹奏楽の練習をしてきました。これから仕事です」

カラッとした笑顔で語る彼は、島村楽器直方吹奏楽団の代表であり、指揮者でもあり、何より、この楽団を立ち上げた張本人でもある。

2019年に5人ではじめた楽団には、今では15歳から76歳まで約50人が集まる。福岡市内や山口県から練習に通ってくるひともいる。

「楽器の演奏経験は?」と尋ねると、「一応クラリネットはやってました。でも今は楽器はほとんど吹いていません……」。

楽器を吹くのは、実はあまり好きじゃないらしい。楽器店で働いているのに? と思わずツッコむと加々見さんは笑顔で答えた。

「吹奏楽を聴くのが好きなんですよね。家でも車のなかでも、ずっと聴いています。三度の飯より吹奏楽です」

楽器を吹くのは好きじゃないのに、三度の飯より吹奏楽。そう語る彼は、なぜ50人の楽団を作り、指揮台に立つのか。

ルパンがつないだ音楽との出会い

1996年、福岡県田川郡香春町で生まれた加々見さん。香春岳がそびえる田舎町で野原を駆け回り、水泳や空手に打ち込む体育会系の少年だった。音楽とは無縁だった。

音楽との出会いは、小学6年生のとき。きっかけは、テレビで見たルパン3世だった。レンタルショップでDVDを借りてきては、夢中になった。卒業が近づいてきたある日、外から「ルパンルパーン」と、あの曲が聴こえてきた。家から歩いて5分ほどのところにある中学校の吹奏楽部が演奏している音だった。それからというもの、放課後になるとその音が気になるようになっていた。ある日、父が言った。

「ルパンのサックス吹けたらかっこいいよね。吹奏楽やってみたら?」

「あ、そうか」

入学前の学校見学で吹奏楽部に足を運んだ。間近で見る演奏は、かっこよかった。その気持ちのまま、入部した。当然サックスを希望したが、その年入部した同級生の皆がサックスを希望していた。当時は、田舎の女子高生たちがひょんなことからジャズバンドを結成する映画『スウィングガールズ』が流行っていた。サックスは花形だった。

「結局、編成の兼ね合いもあり、同級生は誰もサックス担当にはなれなくて。僕はクラリネットになったという感じです」

「なんとなく」クラリネット担当になった加々見さん。楽器に触れたこともなく楽譜も読めなかったため、ドレミを覚えるところからはじめた。

なんとなく入部して、なんとなくクラリネットを吹いて、なんとなく3年が過ぎていった。一方で、「これ、やりたい」と思えたものもあった。中学1年生の冬、合唱コンクールで経験した”指揮”だ。

「最初は吹奏楽部だし、やった方がいいかなくらいの気持ちで手を挙げたんです。でもやってみたら楽しくて」

吹奏楽で指揮をする顧問の姿を見て、見よう見まねで腕を振った。中学3年間、すべての合唱コンクールで指揮をした。「楽しい」気持ちは、回を重ねるごとに強くなっていった。部活ではクラリネットを吹きながら、みんなの前に立ちたいという思いばかりが膨らんでいった。

インタビューに応じる加々見さん

あの場所に立ちたい

迷いなく、吹奏楽に力を入れている地元の高校を選んだ。楽器はバスクラリネットに変わった。

高校2年生のとき、ひとりの教師がやってきた。音楽大学を出て母校に赴任してきた福貴(ふっき)先生は、吹奏楽部の顧問になった。

「指揮がすごく上手な先生で、指揮をする姿がかっこよかったんですよね」

声に力がこもる。

「指揮って、どうしても指導と切り離せないので。指揮と指導の両方をやりたいという気持ちが強くなりました。そこから、福貴先生に指導法や合奏の進め方も学ばせてもらいました」

吹奏楽部のOBたちも練習に駆けつけた。地区大会の予選を突破したい。その思いで部員55人が一丸となっていた。その年、数年ぶりに地区大会で金賞を受賞し、県大会へ進む代表4校のひとつに選ばれた。

「いいとこまでいくけど、なかなか一歩抜けられなかったんです。でも福貴先生が来てパーンって抜けられた。先生と生徒の思いが相まって、一体感が生まれて。コンクールで賞が取れたことでスイッチが入ったんだと思います。吹奏楽がもっと好きになりました」

そこから加々見さんの行動が変わった。楽典と言われる音楽の教科書を手にとり、音符の読み方やハーモニーの仕組みを独学で学んだ。

店舗で勤務中の加々見さん

2000人の前に制服で立つ

高校2年生の冬、たまたま見ていた東京佼成ウインドオーケストラのホームページで、ある企画に目が留まった。プロの吹奏楽団と一般参加者が共演するコンサート企画がはじまった年だった。演奏コースと指揮コースがあり、指揮は2枠。

「どうせ当たらない」。加々見さんは誰にも相談せず応募した。志望動機には「プロの吹奏楽団と一流のホールで指揮をしたい」と書いてポストへ投函した。

しばらくすると、自宅に当選通知が届いた。コンサートで演奏する課題曲のスコア一式が同封されていた。

「もうビックリしました。当たるわけないと思ってたんで。親にも先生にも言ってなくて、どうしようって……」

会場は東京芸術劇場。2泊3日で東京に滞在し、ワークショップを経て本番を迎える。参加費用もかかる。

「なんか当たっちゃったみたいなんですけど、これって大丈夫なんでしょうか?」

音楽に詳しくない親が福貴先生に相談すると、先生が帯同してくれることになった。

初日、プロのピアニストの演奏に合わせて指揮を振り、プロの指揮者から指導を受けた。

「自分が振っている指揮がわかり辛いと知りました。打点がわからない指揮では、奏者は吹けないと。的確な言葉で教えてくれました」

打点とは、奏者が音を出すタイミングを示す合図だ。

二日目は、東京佼成ウインドオーケストラの練習会場でプロの楽団を前に指揮台に立った。全国の吹奏楽部がお手本にするコンクール課題曲の音源を録っているバンドだ。

「怖かったですね」

そして最終日の2013年4月6日、本番。2000人の観客が入った東京芸術劇場の舞台に、ブレザーの制服を着た高校生が立っていた。目の前にはプロの吹奏楽団がずらりと並ぶ。両サイドと背中に、観客の視線を感じていた。

課題曲は、風紋(ふうもん)。

「本番は本当に頭のなかが真っ白になって、間違えてしまったんです。でも私が間違えたら、奏者の方たちも間違えてくれて。それが指揮者の仕事なんだなってわかったんです」

5分間の演奏を終えたとき、ひとつの確信が残った。

「やっぱり吹奏楽はすごい、吹奏楽がしたい」

東京から戻ると、福貴先生は他の学校へと異動した。福貴先生と過ごしたのは、たった1年。その1年が、加々見さんの原点となった。

指揮台に立つ加々見さん

「コンクールに出てみたい」を叶える

音楽大学へのあこがれはあった。ただ、音大で求められるピアノ経験がなく、楽器の技量でも難しいと感じていた。そこで、吹奏楽で有名な指導者がいる山口県の大学へ進学した。

大学2年生のとき、その先生が高齢を理由に退職した。加々見さんが部長に就任し、指揮も指導も引き継いだ。さらに、指導者のいない附属中学、高校の吹奏楽部からも声がかかった。大学3年生の春には、中学、高校、大学すべての指揮者として活動するようになっていた。願ったり叶ったりのはずだった。しかし、中学校、高校での指導は困難を極めた。

「バリバリやってきた子もいれば、ゆるくやってきた子もいて。まずは部活に来てもらうことから始めましたね」と苦笑する。

中高生たちとは、音楽以外のことも話しながら関係を築いていった。すると、高校の生徒たちから声が上がった。

「今まで一度もコンクールに出たことがないんです。出てみたい」

その声に応えるため、吹奏楽連盟に加盟する手続きからはじめた。その年、中学、高校、大学すべての吹奏楽部が初めてのコンクールに出場した。4月から本格的に練習を始め、本番は7月。

結果は銅賞だった。出場さえすればもらえる賞だった。

「やっぱり悔しかったですね。私の指導力が甘かったというのもあって、私自身も泣いてしまって。来年はどうにかして良い賞を取ろうって」

悔しさは加々見さんを変えた。合奏を録画して、自分が何を喋っているかを見返した。「ここはこう言えばよかったな」。スコアに細かくメモを残し、言葉を磨いた。演奏者の音には体調や悩みが出る。「音ですぐわかる」と話す加々見さんは、耳を澄まし、その時々で演奏者に必要な言葉を届けた。

「指揮者として大切なのは、いかに思っていることを伝えられるか」

指揮とは、コミュニケーションなのだと気づいた。変わったのは、加々見さんだけではなかった。

翌年のコンクール。金賞こそ逃したものの、中学校、高校の吹奏楽部が小編成の部で銀賞を受賞した。

「嬉しかったのはもちろんですけど、ついてきてくれたっていうのが一番大きかった。音楽をずっと続けてほしいって思いがあるので」

2017年、吹奏楽コンクール。指揮を務める加々見さん

「本当にこれでいいの?」

大学に入学した当初は教員を目指していた。ところが吹奏楽の指導にのめり込むうちに、教壇に立つよりも、音楽の現場で指揮を振りたい気持ちが強くなっていた。

いざ就職活動となると、手当たり次第、一般企業の選考を受けた。音楽関連の仕事に就ければラッキーだと思っていた。島村楽器の新卒選考も受けたが、受からなかった。最終的には内定をもらった小売業への就職を決め、入社前の研修にも参加した。

そのとき、心が揺らいだ。

「入社する直前になって、本当にこれでいいの?って」

そこで働く自分の姿がどうしても思い描けなかった。「音楽を楽しむ人を一人でも多く創る」。島村楽器の経営理念だ。就職活動のときに目にしたその言葉が、ふと蘇った。吹奏楽を通して音楽の楽しさを伝えてきた自分と重なった。アルバイトから社員登用制度があることも知っていた。

「音楽に関わりのない仕事は続かないだろうなって。だったらアルバイトからでもやりたいことをやりたい。やっぱり島村楽器がいいなと思ったんです」

親に思いを伝えると、最初は反対された。それでも気持ちは変わらなかった。最後は背中を押してくれた。

入社を辞退し、実家に戻った。実家から近い島村楽器イオンモール直方店でアルバイトの募集は出ていなかったが、「ダメ元で電話してみたら」という父のひと言がきっかけで電話をかけた。すると、ちょうど求人が空くタイミングだったことがわかり、面接へと進んだ。

2018年4月1日、島村楽器にアルバイトとして入社した。

入社後は担当を持たず、レジ打ちや品出しなど基本的な店舗業務を覚えながら、半年後に契約社員登用となった

「やってみたら?」からはじまる

入社して1年、再び加々見さんは動き出す。

「ここでも吹奏楽をやってみたい」

島村楽器では他の店舗でもサークル活動が行われていた。当時の店長に話すと「やってみたら?」のひと声で決まった。

最初は知り合いに声をかけて5人からスタートした。地域に楽団が少ないことや、月に1度という無理のないペースが口コミで広がり、半年後には30人ほどになっていた。店頭で楽器を購入してくれたお客さんや地域の吹奏楽部の学生など、ひとがひとを呼んだ。

「この地域は少子高齢化が進み、人口も少ないんです。吹奏楽も廃れていっています。せっかく地元に戻ってきたので、盛り上げたいっていう気持ちもありました」

島村楽器直方吹奏楽団を立ち上げると、島村楽器で初めて、吹奏楽連盟に加盟した。

2025年9月にイオンモール直方で開催した「吹奏楽の日」。筑豊地区の中学校・高校吹奏楽部、島村楽器直方吹奏楽団による演奏会を開いた。(出演:山田中学校・川崎中学校・小竹中学校・希望が丘高校・島村楽器直方吹奏楽団)

ひとが集まり、楽団は軌道に乗った。でも好きなことを追うほどに、別の壁にぶつかった。

お客さんが多く来店する土日に、吹奏楽の練習や指導のために店を空ける。そのぶん、売り上げは伸びない。契約社員から正社員になるまでに、4年の歳月を要した。吹奏楽をやめれば、状況は変わったかもしれない。それでも加々見さんは、やめなかった。

「種まきが大事。いつかは芽生えるから、待つしかない」

歴代の店長の言葉を信じて、活動を続けてきた。

吹奏楽団を立ち上げて7年目を迎える今、その種が花を咲かせている。

「時間はかかったけど、コツコツと蒔いてきた種がここ数年で一気に花を咲かせてくれています。楽団を通じて、地域の中学校での吹奏楽部の活動支援も行っています。吹奏楽で関わる生徒たちが楽器を買いに来てくれるんです。学校の先生たちからも吹奏楽について相談されるようになりました。会社やお店のバックアップがないと、ここまでできないです。島村楽器だったからこそできた。今の仕事は本当に天職だと思っています」

地域の中学校で吹奏楽部の支援も行っている
川崎町ニューイヤーコンサート2026。川崎中学校・島村楽器直方吹奏楽団合同出演。指揮は加々見さん

三度の飯より吹奏楽

「ブランクがあるけど、また楽器演奏をはじめたいという方もけっこういらっしゃるんです。でも、いざ吹奏楽団に入るとなると敷居が高くて難しい、という方も多くて。うちの楽団は、そういう方々の受け皿でもあるんです」

楽団には初心者もいる。楽器に触れるところからはじめて、団員同士で教え合いながら練習を重ねている。なかには初心者でソロパートを任されるようになったひと、この楽団をきっかけに他の楽団で活躍するようになったひともいるという。

「ひとりでやるよりも、みんなでやる場があるから、熱量が高まるんですよね」

加々見さんはうれしそうに笑う。

「合奏中に、全員の音がパーンって合う瞬間があるんです。そのとき、鳥肌が立つほどの感動を覚えて。感情が高まって、指揮をしながら泣いてしまうこともあります」

加々見さんにとってのよろこびは、自分が音を出すことではなく、みんなの音がひとつになる瞬間にある。だから「吹く側」ではなく、「振る側」に立ち続けている。

最後に好きな曲を聞いてみた。

「中島みゆきの『糸』ですね。楽団を立ち上げたとき、最初に演奏した曲なんです。縦の糸と横の糸みたいに、縁がつながっていけばいいなって」

大学時代、吹奏楽を通じて出会ったのが今の伴侶だ。ともに銀賞を獲得した吹奏楽部の部長だった。吹奏楽を聴きながら家事をして、楽団の練習にもいっしょに参加する。ふたりの子どもにも音楽や演奏を想起させる名前を付けた。

「吹奏楽は生活の一部ですね。ご飯を食べるのと同じくらい」

三度の飯より吹奏楽ーー最初に聞いたあの言葉は、大げさではなかった。加々見さんは今日も、糸を紡いでいる。

▲(画像:筆者撮影)
取材・文・撮影=サオリス・ユーフラテス

島村楽器直方店
〒822-0008 福岡県直方市湯野原2-1-1 イオンモール直方2F
URL:https://www.shimamura.co.jp/shop/nogata/
X: https://x.com/shima_nogata

この記事を書いた人

サオリス ユーフラテス

佐賀生まれ。製薬会社勤務を経て、五大陸の旅へ。帰国後、リクルートエージェントで14年半、7,000人以上のキャリア支援に携わり、2021年に独立。現在は福岡を拠点に、人の営みや人生を深掘りするインタビュー、経営者のアウトプットサポートを手がけている。「正しい道より、楽しい道を。最短距離より、寄り道を楽しむ」ことがモットー。