大井健スペシャルロングインタビュー【前編】(2/4)

大井健 インタビュー写真

プロの生演奏から受けた衝撃に自分自身の未来を見た

島村楽器スタッフ
いつ頃からピアニストとして活動されることを目指されたのでしょうか?
大井
14歳の時にピーター・ケイティンというピアニストの方のコンサートチケットを頂いて生まれて初めてリサイタルに行ったんですけれど、実際の生の演奏を聴いて雷に打たれたかのような衝撃で本当に感動しまして。その時から急にピアニストという仕事に就きたいと思うようになりましたね。
島村楽器スタッフ
その時に聴かれた曲は覚えてらっしゃいますか?
大井
全てショパンでしたが、特に<ノクターン>や<舟唄>を聴いたのを覚えています。
それまでも同級生の演奏やコンクールで同じ年代の子の演奏は聴いたことはありましたが、本当のプロのピアニストの生演奏は初めてだったんです。すごく刺激的だった。
島村楽器スタッフ
そこで衝撃を受けられてピアニストを目指されることになったんですね。その過程で大変だったことを敢えて挙げるとしたらどんなことでしょうか?
大井
2つありまして、1つ目は高校入学のタイミングでの帰国。イギリスでの厳しい寮生活しか知らないので日本の自由な高校生活に憧れていた部分もあったんです。でも実際に入学してみると、今まで男子寮みたいな環境だったのに急に周りが女性ばかりになって、非常にカルチャーショックを受けましたね。ひと学年に150人以上いる音楽高校なんですけど男子は7、8人しかいなくて、初日のホームルームはとても衝撃でした。最終的には慣れて女性とも話せるようにはなりましたけどね。
もう1つは、良い意味でシステマティックになっている日本の音楽教育が自分には少し合わなかったような気がして、馴染むのに苦労したことかな。例えば、日本の音大生が勉強するような曲はやっていたんだけれど、逆に習い始めで普通は積み重ねているようなツェルニーなどは全くやってなかった、というような感じです。その音楽教育のギャップは楽しめた部分もありますけれど、今までの穴を埋めていく作業は大変でした。
島村楽器スタッフ
14歳でプロになるとお決めになられてから、練習に対する姿勢も変わられましたか?
大井
そうですね、まずはピアニストになるために自分に足りないものは何か、ということを考えました。そこで例えば、圧倒的にツェルニーをやっていなかったなとか、そういうことに気付くわけですよね。高校に入って、フィンガートレーニングの第一人者の先生に見て頂いた時に「君はたぶんツェルニーやってないから、動きがいい指と悪い指の差が激しい」と言われました。でもその先生との出会いのおかげで、いろんな文献を読んで勉強もしましたし、最終的には10本の指を均等に慣らす練習ができたと思っています。

練習曲にはそれぞれ意味がある

島村楽器スタッフ
趣味で習いたいという方だと、どうしても地道な練習曲には馴染めないこともありますよね。
大井
そうそう、僕は今でも自分の手の筋肉や腱の動きが楽しくて練習曲をやっているんですけれど、どこにフォーカスしてその練習をしているのか意味がわからないと苦痛かもしれないですね。
島村楽器スタッフ
であれば、逆に教本にそういった目的が明記してあると良いのかもしれませんね。
大井
そうですね。まずは弾きたい曲の楽譜があって、その曲を弾くにはこのテクニックが必要で、そのテクニック習得の為の練習曲がその次に載っているみたいな感じですかね。フランスのピアニストでアルフレッド・コルトーという方がいるんですけれど、彼が監修をしている、コルトー版という楽譜があるんですよ。それが少し近いニュアンスの楽譜になるのかもしれないですね。みんなが弾きにくい部分ってある程度決まっていて、その弾きにくいところを克服する為の練習だと納得できればきっとやりますよね。