I Love Guitar! 特別企画
UNCHAINインタビュー 前編

〜京丹後市の少年たちが20年音楽を続け、コラボアルバム「20th Sessions」をリリースするまで〜

島村楽器のウェブと店頭を連動して展開中の「I Love Guitar!キャンペーン」。
今年の夏、キャンペーンのイメージキャラクターとして全国の島村楽器店頭を彩ってくれたUNCHAINのメンバーたちだった。そんな彼らは2016年でバンド結成20周年。聞くところによると、メンバーは全員京都府の外れに位置する「京丹後市」の出身で、京都市内に出るためには電車で3時間はゆうにかかるという。楽器屋もスタジオもライブハウスもない町の中学生が結成したバンドが、上京・メジャーデビューを経て、シーンの第一線で活躍しているということは、ギタリスト、ひいてはバンドマンを全力で応援する楽器屋としては、純粋に嬉しいことだ。
偶然にも島村楽器には同郷出身のスタッフが働いていたので、当時の地元での活動の様子も交えながら、どうすれば田舎のロックキッズが「メジャーデビューして」「音楽で食っていく」ことができるようになるのか、UNCHAINの20年の歴史にヒントをもらうべく、聞いてみた。

(L→R) Ba./Cho. 谷浩彰、Vo./Gt. 谷川正憲、Gt./Cho. 佐藤将文、Drums 吉田昇吾

―今日はよろしくお願いします。京丹後市出身のフジワラと申します。皆さんの中で京丹後とはどんな町ですか?

佐藤:今はもうだいぶ都会やけどね。

谷川:いやいや都会じゃないっしょ(笑)

佐藤:24時間やってるコンビニできたし。

谷川:昔はあぜ道ばっかりでしたからね。

佐藤:今だにスタジオとかもないやろ?

谷川:スタジオないですね。

佐藤:山田さんに言わなあの部屋貸してくれんやろ?

―山田さんとは・・・?

谷川:山田さんは地元のPA屋さんで・・・ある時地元の高校の軽音部の顧問になって、後にその軽音部を全国大会で優勝させたりもした人で、桐谷健太主演でドラマにもなったりした人なんですけど、ただUNCHAINはその軽音部とは関係なく進んでいくんですけど(笑)

佐藤:例えばUNCHAINがライブをやるっていうときには、山田さんが格安でPAから何から全部準備してくれたんです。

谷:ライブハウスがないんで、ライブをやるときはカフェを借りたり、公民館を借りて、スピーカーとかを持ってきてもらうんですよ。

谷川:なかなか理解しがたいですよね。

―ライブ会場から作っていかないといけないような町なんですよね。バンド結成はいつ頃どんなきっかけだったんですか?

谷川:中学1年の終わりぐらいかな。

谷:1個上・2個上くらいにベースとかギターをやる先輩がいて、その姿を見てカッコイイなと思ったんですよね。で、アコギとか買ったんですけど全然弾けず。

谷川:その頃の谷くんにはモミアゲが無かったですね。学ランの裏布にも紫の龍の刺繍とかあって。チェーンとか付いてて(笑)

一同:

谷:先輩の影響ですよ(笑) 音楽もそうだし、そういうファッションもね。

―吉田さんがドラムを始めたきっかけは何だったんですか?

吉田:僕も先輩の影響ですね。先輩がこれからバンドを始めるっていうときに、当時のドラマー候補がなかなかドラムセットを買わなかったみたいで、「お前が買うならバンド入れるよ」って言われて、通販で3万円くらいのセットを買いました。

―谷川さんがギターを始めたきっかけは何だったんですか?

谷川:僕は中学1年生くらいだったんですけれども、谷くんと吉田くんがバンドを始めた頃、割と校内でバンドを始める人が多くて、2人とは別のバンドを組むためにギターを買った気がしますね。

―谷川さんは中学の頃からギターがものすごく上手くて、JUDY AND MARYの「そばかす」を完コピしていたという噂を聞きました。

谷川:ジュディマリのギターは本当に難しくて、今考えてもエグいなと思うくらいですからね。よくできてましたね。あと中学生の頃はヴィジュアル系全盛期で、僕らもハマっていて、京都市内までヴィジュアル系のCD専門店に10枚くらい買い漁りに行ったりしてましたね。バンドとして一番最初にコピーしたのはLUNA SEAでした。高校の頃はパンク・メロコアをやったりしていて。

―当時から「UNCHAIN」というバンド名だったんですか?

谷川:いやUNCHAINになったのは僕らが20歳くらいになったあたりで、その前がMosh King、最初はForestっていうバンドでしたね。直訳すると「森」(笑)

―バンド名の由来はどこから来ているんですか?

谷川:本格的にバンドとしてやっていく、となった頃、ちょうど音楽性も今のスタイルに変わった時期で、「Mosh King」っていうのも何かな・・・と思っていたんです。色々と考えていたときに後輩から「『グラップラー刃牙(漫画)』に出てくる『アンチェイン』とかどうっすか?」と言われ、ちょうどその頃谷くんがお世話になっていた先輩の部屋に、プロボクサーのアンチェイン梶さんのポスターが貼ってあったこともあり、そもそもアンチェイン梶さんのリングネームはレイ・チャールズの「Unchain My Heart」という曲から取られているということもあり、色々と重なってUNCHAINになりました。

―オリジナル曲を演るようになったのはいつ頃からですか?

谷川:高校の頃ですね。高校3年生のときにBOSSのMTRを買って、自宅で録り始めましたね。一番最初に作った曲はオフスプリングっぽい「レッド・ピエロ」っていう曲でした(笑)
当時はスタジオもないし、近所の電気屋さんに取り寄せてもらったギターアンプを持って、吉田くんの自宅に集まって練習してましたね。

―楽器屋もない町からメジャーデビューするまで至ったっていうことがすごいなと。

谷川:音楽をしたいのに環境がない、それで「何とかしてやってやる」とハングリーさが高まっていったんだと思うんです。都会に住んでいるとライブハウスに電話すれば借りられるのかもしれないんですけど、僕らにはそれがなかったので。まず「音を鳴らしたい」というただの衝動があって、演奏する場所もないのに楽器を買って・・・頭悪いですよね(笑)でもどこかしら、誰かの家のガレージだったり、プレハブだったりで練習して、たまに公民館の視聴覚室みたいなところを1日3000円くらいで借りて、友達呼んでライブやってましたね。

―僕もその公民館の部屋借りてライブやってました(笑)

谷:先輩から伝わる伝統やね(笑)

佐藤:だからこっち来てライブをやるってなったら、当たり前ですけどスピーカーがあって、アンプがあって、PA卓があって、リハーサルスタジオがあって、防音室があって、音が鳴らせるっていうのが「ありがたっ」って思いますね。当たり前じゃない分、ありがたさがわかったっていうのはありますね。

谷川:でも今なんて田舎であろうが、京丹後であろうが、20年前よりも絶対に音楽がやりやすいはずなんですよ。理解もあるだろうし。例えステージがなくても、スタジオがなくても、ネットがあるし、僕らに比べれば全然できちゃうと思うんです。だから誰でも(プロミュージシャンに)なれるんじゃないですかね?

―プロになるために、どういう練習をするべきなどアドバイスはありますか?

佐藤:僕がUNCHAINに入って、本気でギターを弾くようになったのは11年くらい前のことなんですが、今一番後悔しているのは「もっといっぱいコピーしておけば良かった」ということですね。衝動さえあれば、その人のタイミングで曲は作り始めれば良いと思うんですが、作りたい作りたいだけじゃなくて、絶対にインプットはいっぱいした方が良いです。

谷川:自分ができることの幅が増えますからね。

佐藤:カバーをやった方が音楽が好きになると思いますしね。

谷川:僕の知り合いのドラマーの人も「八十何年代のあの人のあのフレーズね」って言ってすぐ出せたりして、そういう人はすごい強いですね。

佐藤:ざっくり言うと、その人から出るオリジナルはそれが1つになったものだったりするからね。

谷川:もちろん引き出しがゼロでも、すごいオリジナル曲を作る人はいますけどね。

谷川:あとは色んなコピーをするにしても、それをマニュアルにしないことは大切ですね。その外にあるものがオリジナリティなんで。

―都会に出て来たのはどのタイミングなんですか?

谷川:大阪の専門学校に進学した時ですね。佐藤くんは1学年下なんですが、それ以外の3人は揃って大阪に出てきました。

―その時はもう「音楽の道で食っていこう」という決意を持って大阪に出てきたんですか?

谷川:そうですね。その時はまだ佐藤くんは音楽に興味なかったみたいですけど。

佐藤:ええ、消防士目指してました。

一同:(笑)

佐藤:ただそこで消防士の試験に落ちて、「家継ぐしかねぇなぁ」って思っていた時に、あるバンドに誘われて。その後色々あってUNCHAINに入ることになって、次の年ぐらいにインディーズデビューみたいな感じでしたね。専門学校卒業して1年くらい経った後かな。

―その頃、佐藤さんがステージ上でバク転してたの覚えてます(笑)

佐藤:やってたやってた(笑)

―インディーズデビューってどうやったらできるんですか?

谷:当時月2回ぐらいカモられてたライブハウスが大阪にあって(笑)

谷川:田舎者の僕らはシステムもあまりわからず、「ライブはお金を払って出るもの」って思ってたんですね。月2回ぐらいブッキングされるし。

谷:それがそのうち「ノルマ無しで」ってなって、そのライブハウスに色々とお世話になるようになって、ある日ライブハウスの店長が「お前らと一緒にやりたいんだ」って言って僕らのためにレーベルを立ち上げてくれたんですね。

谷川:その人は元々「ゴリラ・アタック」っていうバンドで活動していて、全国にツテがありまして、僕らのツアーも組んでくれたんですよ。そこで出したファーストアルバムをメジャーレーベルの関係者が聴いてくれて、avexの人が僕にメールをくれて、デビューに至るという訳ですね。

佐藤:そう考えると今はCDなんてあの頃に比べるとかなりクオリティ高く作れるし、デビューするにはライブをいっぱいやるか、とりあえず色んな人にいっぱい観てもらうべきかな。

谷:最近はまた違って、業界の動きが早いから、レーベルがYouTubeとかSNSでチェックして声掛けちゃうんですよ。それでライブ活動もせんまま持ち上げられちゃったりもする。

谷川:そういうのは確かにデビューできるけど、あんまり良くない例だと思うんです。自分たちの衝動を形にできないまま大人たちの手が加わり、作られてしまうんですよね。インディーズの頃からね。

谷:それでもし売れんくて「はい、終わりです」ってなった瞬間、その子らはやり方がわかんないんですよね。今までずっと作ってもらっていたから。それでそこでダメになっちゃう。

谷川:・・・最初は苦労するけど、自分でちゃんと曲作って、悩んで、CDでもMVでも何か形にする方が良いんじゃないですかね?一度形にすれば、その力はその子の手に残るものだし、一番「芯」となるんじゃないかと。それをまず作ることが大切。

―デビューする前は年間どれぐらいライブやってたんですか?

谷:80〜90本くらいで「うわぁやったね」くらいの感じだったかな。

谷川:でもそれだけじゃ食っていけないからビートルズバーで働いてましたね。

―「音楽で食っていく」って決めたきっかけとか手ごたえって何かあったんですか?

谷:個人的には専門学校時代とか一個上にlocofrank先輩がいて、その人たちを見て「じゃあ僕らも25歳でCD出そう」とか思った感じですね。そういう近い距離で考えてましたね。その頃はただ「楽しい」でやってたから。

谷川:やっぱりある意味で頭悪いんですよ。頭良かったらこの道を選ばないというか(笑) あとは井の中の蛙というか、当時周りに僕より唄が上手い奴がいなかったんですよ。もう日本で一番上手いぐらいのことを思っていて、宇多田ヒカルさんをライバル視してたぐらいですからね。・・・で、十何年か後に「Automatic」をカバーして、「何だこの難しい曲は!!?」って思うっていうね(笑)

その後メジャーデビューを果たすUNCHAIN。バンドマンの生活はメジャーデビューをすると変わるのか?京丹後の片田舎から飛び出してきたUNCHAINがシーンの最前線を走るアーティストとコラボアルバム「20th Sessions」をリリースするまで、UNCHAINの直近約10年を辿るインタビュー後編はこちら

聞き手:フジワラ、シミズ(島村楽器)
撮影:キタ(島村楽器)
協力:梅が丘 へちもんや

UNCHAIN プロフィール

UNCHAIN アーティスト写真

ジャズやソウルミュージック、フュージョン、更にはシティポップス的なエッセンスまでを絶妙にブレンドしたグルーヴィーなロックを鳴らす京都府出身の4ピース・バンド。
1996年、中学の同級生だった谷川正憲(Vo/Gt)、谷浩彰(Ba/Cho)、吉田昇吾(Dr)の3人で結成。
後に1年後輩の佐藤将文(Gt/Cho)が加入し現在の編成となる。
2005年インディーズ・デビューし、2枚のミニアルバムをリリース後、2007年にメジャー・デビュー。 Vo.谷川の圧倒的な歌唱力と確かな演奏力は、国内ロックバンド勢の中でも唯一無二の存在として独自の地位を確立している。
2016年、結成20周年目をスタートさせる。

使用機材紹介

UNCHAIN COLLABORATION ALBUM / 20th Sessions

2016.10.19 RELEASE!